『閑吟集』68(1518)
古典の中でも『閑吟集』は寝転びながら好きな頁を気楽に読める一冊ではないだろうか。大学の国文学の授業では、中世歌謡が一番面白かった。教授は日本レコード大賞の選考委員をしていたから、本当に古典の歌謡と現代歌謡がどこかで繫がっているのだなあと思った。
この歌は「忍ぶ細道の軒先に瓢箪などを植えておいて這わせて生らせたいなあ。そうすれば自然に心も浮かれて陽気になるだろうよ。」というような意味。京都の東山では「東山瓢箪プロジェクト」というものがあり、瓢箪を植えて緑のカーテンをつくる運動がされている。豊国神社や高台寺など豊臣秀吉にちなんだ名所が東山にあるので、秀吉のシンボルである瓢箪を植えようということになったのだ。実際、町を歩いているとあちこちに瓢箪が生っているのを見かけて楽しい気持ちになる。
『閑吟集』の成立は室町末期で秀吉や信長が世に出る約二十年前であるが、この歌の瓢箪という素材がユーモラスで時代にあっている。
また、この歌は女の側からの発想で「瓢箪」が男性性器ともとられ、男が忍び通う意味も込められている。「ひょひょら」や「ひょめく」の語感が口に出して読んでみるとおもしろく、瓢箪の揺れている感じや心浮かれる感じがある。
ただ人には馴れまじものぢゃ 馴れての後に 離るるるるるるるるが 大事ぢゃるもの 119
靨の中へ身を投げばやと 思へど底の邪が怖い 217
このように面白い歌はたくさんあり、そのほとんどが男女の恋を詠ったものだ。一番目の歌は「ただ人にはあまり慣れ親しむものじゃないわ。一度馴染んでしまったら離れるときが大変ですよ。」という意味。「る」を長く重ねているところが面白い。「離る」の意味をこれで強調している。
二番目は、私自身にえくぼがあるから親近感を持って読んだ。「あの子のえくぼの淵にこの身をなげたいと思ったけれどその淵の底にいる蛇のような邪心がやっぱりこわいよ。」という意味。「邪」と「蛇」がかけてあり女にだまされまいと用心している男心が伝わってくる。えくぼの底に身をなげたいという発想も可愛らしいものがる。
『閑吟集』は『詩経』に見立てて311の歌から成るが310番目には
花籠に月を入れて 漏らさじこれを 曇らさじと 持つが大事な
という美しい歌が出て来る。「花籠」を女性、「月」を男性と見立てている。「花籠にあなたを受け入れて消して外へ漏らすまい。月を曇らすまいとしっかり持つことが大事なのよ。」という意味で、性愛の歌とも、情愛の歌ともとれる。「花籠」と「月」という取り合わせがなんとも言えず優美で洒落ている。
この時代の人々は叶わぬ恋に耐え、恋人が訪れるのを辛抱強く待ち、それでもひらりと身をかわすような恋の歌を詠んでいて、現代の私たちよりも生き方も恋愛も上手に見えてくる。(歌のルビは岩波文庫『新訂 閑吟集』に従いました。)