戦ひに敗れてここに日をへたりはじめて大き欠伸をなしぬ

前田夕暮『耕土』(1946)

 

先週、前田透について書いたがその父である、前田夕暮の歌をひきたい。昭和20年4月、夕暮は奥秩父入川谷(埼玉県秩父郡大滝村入川)に妻と疎開し焼畑の断崖斜面を開墾する。63歳のことである。『耕土』はそこでの1年8カ月の生活を記録した歌集で生前最後の歌集となった。妻とふたりで自給自足の生活を始めたわけだが年譜には「老齢と過酷な労働と窮乏が重なりここに夕暮の肉体を徹底的に破壊して終末をもたらす結果となった。」とある。事実、昭和26年に69歳で夕暮は亡くなる。

畑では、青豆、瓜、小松菜、胡瓜、聖護院大根、南瓜、もろこし、小豆、甘藷、トマトなど村人に教わりながら植えてみるが土壌が悪くなかなか豊作とまでは行かなかったようだ。しかし『耕土』のなかの夕暮は生き生きとしていて巻末小記には「実によい生き方をすることが出来た。」と振り返っている。

 

わが手より光りて土に散る種子のおのづからなる位置のよろしも

おのづから木箱にみつる馬糞なりまちつつあれば春日のどけし

働きすぎ疲れしからに座敷の内はひあるきはひあるき妻に笑はれぬ

 

一首目は畑に種まきをしている様子。耕した土の上に、手元から種がみないい位置に落ちて、今から芽生え育っていく様子を楽しみに待つ気持ちがある。また二首目は肥料となる馬糞をもとめ馬のお尻の下に箱をおいて待っている様子。どんどん満ちてくる馬糞を喜ぶとともに春の日の暖かさを感じている。三首目は疲れが足腰に来て立って歩けなくなり、部屋中を這っているところを妻に笑われている。壮絶ささえも感じる。

 

冒頭の歌にもどろう。敗戦を入川谷で迎えた夕暮だが、敗戦の歌はどれも淡々としている。直後の歌では、

 

秋草の匂ひをかぎて愁ひあり敗れし後はただに生くべし

わがひとり嘆かへばとてどのやうになるべきにあらず秋草にほふ

敗戦のこの悲しみをわかつべき人さへあらず路ゆきにけり

 

といった歌がある。よそ者として入川谷へ疎開し、敗戦という現実にその気持ちを分かち合う人がいない。さまざまに逡巡しているような悲しみがこの三首に感じられる。それからしばらく経って冒頭の一首が詠まれた。何日も何日も敗戦について考え、国のことや自らのことに思いを巡らし、またチモールに出兵している息子、透への心配もあったはずだ。その緊張がふっと切れたとき「大き欠伸」が出たのだろう。素直な一首だと思う。

昭和21年5月には、息子の透はチモールより復員し入川谷で再会。同年の7月に夕暮はこの『耕土』を出版し12月には東京へ戻るのである。