夜の路抱(だ)き歩みせし兒の足袋のぬげたる足の冷たかりしも

前田夕暮『深林』(1916)

この子は、息子である透のことである。まだ幼いその子を夜抱いて歩いていると、どこかで足袋が脱げてしまった。触れると小さな足が冷たくなってしまっている。この時夕暮は悲しみの真っ只中にいた。生まれたばかりの女の子が生まれて数時間で亡くなってしまったからだ。

 

ほのぼのと生れてやがて死にゆきしわが兒を思ふ朝焼けの街『深林』

きさらぎの地上の雪の光りけり吾兒の柩に釘うちにけり

 

大正五年の二月にこのような歌が詠まれている。妻は産科に入院中であり、一人悲しみのなか町を歩いている一首目。また自ら我が子の柩に釘を打たなければいけなかかった辛苦が、二首目にはある。冒頭にひいた歌は病院にいる妻のかわりに長男である透の面倒を見ている場面である。「何もせなく兒と遊びほけ兒とねむりあくればさびし朝焼の樹樹」といった日を送っていたようだ。しかし子を失った悲しみは幾分か、透の存在によって救われたのではないだろうか。

 

遡って大正三年五月には次のような歌がある。

 

わが嬰児(あかご)(はら)ごもりつつ死にしてふこのおそろしさ夜のねむられず  『生くる日に』

わが妻の死にし嬰児(あかご)をうむといふにいたましくして眼をひらかれず

 

産婆が妻を初診したところ胎児の心音が聞こえず、胎動もないので胎児は死んでいると告げた。妻からそのことを知らされて夕暮は驚き悲しみ、歌を連作として19首詠んだ。しかしこの年の十一月、長男である透は無事に生まれたのでこの診察は誤診であったのだ。

 

向日葵は金の油を身にあびてゆらり(、、、)と高し日のちひささよ 『生くる日に』

 

教科書にも出て来るこの一首は、この誤診の胎児の連作の、次の連作の冒頭に突然出て来る。どのような気持ちでこの歌を夕暮は詠んだのだろうか。まぶしいような生命力に満ちたこの歌は、晴れやかで夏の太陽よりも力強く咲いている向日葵を想像させる。連作には次のような歌もある。

 

夏の日の向日葵畠しんとして物おそろしき向日葵畠 『生くる日に』

いかにこのましろき豚の肉太(ししぶと)の豚の逃げいる向日葵畠

 

向日葵の歌はふるさとの家の裏にあった向日葵畑を思い出しながら詠まれているようである。何かその強く静かな生命力が恐ろしいような印象で詠まれている。そして家畜として飼っていた豚の様子も、向日葵と同じようにたくましい命を感じさせる。お腹の子が無事に生まれて来る事を日々願いつつ、不安も強く感じていただろう。金の油の向日葵の歌には祈りのようなリズムを感じとても象徴的な一首としてある。

 

抱きかかへ秋の日向にいでにけりはじめての日光に吾が兒ふれしむ 『深林』

いつしかにわが身にうつりしみにけむ赤兒のにほひ冬日のにほひ

 

透が生まれた頃の歌。静かに誕生の喜びをかみしめ、我が子をいとおしんでいる歌がいくつもある。『深林』は逆年順で編まれていて、前半に生まれてすぐに亡くなった子の歌、集の終わりの方には透誕生の喜びの歌があるのだ。