とほ世古りし丘にならびて子らの見るゆふ焼け空の中に還りぬ

保田與重郎『木丹木梅集』(1971年)

 

保田與重郎(1910~1981年)には、一冊の歌集がある。

保田の批評の一つの柱はアララギ批判であった。しかし若き日にはアララギへ投稿していた時代があり、生涯短歌にかかわりを持つ。後に「風日」という歌の会の指導にもあたる。その短歌を愛し守ろうとする姿勢や歌歴を思うと一冊とは少ない。その一冊も61歳の折である。

「昭和改元当時から、昭和四十五年迄の作歌を集めた」(「後記」)という歌集は『木丹木母集』と名づけられた。「木丹」は山梔(くちなし)、「木母」は梅。文人風であり、内容も四季、羇旅、雑という部立は「家集」のあつらえ。いかにも保田與重郎らしい。ちなみに「山梔」は、若くして自裁した三男直日を記念した花木であり、妻典子に歌集『山梔』がある。

装幀も凝っている。山梔色の布装の本が箱に収められている。その箱も横から出し入れする簡便なものではなく、本を平らに置いて納める型の箱である。そのうえ和本のように袋が掛けてある。市販の歌集としては実に凝った造りである。

三男直日にちなんだ命名といったが、三島由紀夫の死の翌年の刊行であり、追慕の歌を含んでいるから、三島の死とのかかわりも考えていいだろう。「後記」を引いておこう。

 

「歌に対する私の思ひは、古の人の心をしたひ、なつかしみ、古心にたちかへりたいと願ふものである。方今のものごとのことわりを云ひ、時務を語るために歌を作るのではない。永劫のなげきに貫かれた歌の世界といふものが、わが今生にもあることを知つたからである。現在の流転の論理を表現するために、私は歌を醜くしたり、傷けるやうなことをしない。さういふ世俗は私と無縁のものである。私は遠い祖先から代々をつたへてきた歌を大切に思ひ、それをいとしいものに感じる。私にとつては、わが歌はさういふ世界と観念のしらべでありたいのである。」

 

長くなったが、保田與重郎の短歌観がよく分かるであろう。「永劫のなげきに貫かれた歌の世界」に注目すると三島の死を想起せずにはいられないし、あまりにも私的であるということで表面的には語られないが、歌集名と装幀に忍ばせた三男直日の死ともかかわっているに違いないだろう。還暦を過ぎて三島の死に遭遇、愛息の死を思い、追慕の意をこめた歌集出版であったのではなかろうか。

短歌がほとんどだが、長歌や他の形式の歌も含め419首が収録されている。

 

今日ここに紹介した一首は、保田與重郎が敗戦後大陸から復員してきた際の歌である。保田は、戦争末期軍部に睨まれていた気配がある。保田自身の回想によれば、1944(昭和19)年秋から翌年春にかけて、国家神道を批判する「鳥見のひかり」を発表した。それが軍部を刺戟したか、憲兵の監視を受けるようになった。直接には東條内閣に対する批判運動に関与していた影山正治との交流が問題になったと思われる。

ちょうどその頃、保田の体調も思わしくなかった。肺浸潤である。ようやく快方に向かい始めた1945年3月保田は突然入隊を命ぜられる。懲罰召集が疑われる。保田34歳老兵である。しかも瀕死の大病からやっと快方にという病兵でもある。事実、北支派遣曙1456光武隊として大陸に渡り、そのまま軍病院に入院している。そこで終戦を迎え、翌年5月に復員する。

 

ほとほとに春陽かゞよふ曠野にていくたび見たる雁の列かも

死なずして軍病院の庭に見し夏のカンナのなごりの紅さ

娘子関上安站といふ村にいくさをしつゝ冬を過しつ

春浅き軍糧城の庭に咲く木瓜の花見つ山下りきて

 

大陸にあって一兵卒として、このような歌を作っている。

そして日本に、ふるさとの大和桜井へ戻ってきた。その際の歌が二首ある。一首は今日の標題の歌であり、もう一首は、次の作である。

 

見しまゝに国原かはらず足らひたりしづごころなく泪あふれつ

 

保田の故郷は、奈良県桜井市、まさに日本の古代大和王権の発祥の地であった。「小生の帰国の印象は、美しいふるさとといふ感銘であつた。三山を初めて見た時、真実に泪があふれてしかもその意味はわからなかつた。その異常な状態の故国へ帰つた時の印象」として歌われたのが、今日の一首である。三山は、勿論大和三山、畝傍山、耳成山、天の香久山に他ならない。

古代のままのような丘に並んで子どもたちが見ている、その夕焼け空のなかを私は還ってきた。そのように解される一首だが、視点の交錯のような感覚が、この歌を味わい深いものにしているように思う。

遠世=古代さながらの丘は、保田が幼少より登り降りした神武天皇の鳥見霊畤のある鳥見山であろう。「とほ世古りし丘」に並んで子どもたちは父の帰りを待っていた。その子どもたちの視線の夕焼け空のなかを父は帰還した。子どもたちの視点から、自分の帰りを歌っている。よくよく味わってほしい一首である。

10月4日、今日は保田與重郎の命日でもある。