せとものゝひゞわれのごとくほそえだは淋しく白きそらをわかちぬ

宮澤賢治「歌稿A」(明治45年)

 

筑摩書房の宮澤賢治全集の第一巻に賢治の短歌がおさめられている。明治45年は石川啄木が亡くなった年であり、死後、啄木の「悲しき玩具」が出版された年でもある。また賢治の通っていた旧制盛岡中学校はまた石川啄木の出身校でもあった。その影響があったのかわからないが、賢治は創作の始めとして短歌を選び明治44年から詠みはじめ、大正10年までたくさんの歌をのこしている。

 

冒頭の一首、絵画的でもあり、瀬戸物の質感の冷たさもあり硬質な感じのする一首である。白樺のような木の細い枝が空を見上げたときにあって、ちょうど空を分けるひび割れの線のように見えたのだろう。冬の晴れた静かな空を想像する。空が寂しくひび割れているというとり方には作者の精神性のようなものも伝わってくる。明治40年代は5年と短いが、明治41年に「アララギ」が創刊され、与謝野晶子や若山牧水、前田夕暮などが続々と歌集を出し近代短歌の隆盛期であった。その中でどこにも属さずに、ひっそりと詠まれたような賢治の短歌は不思議な感覚を持っている。

 

屋根に来てそらに息せんうごかざるアルカリ色の雲よかなしも

うしろよりにらむものありうしろよりわれらをにらむ青きものあり

粘膜の赤きぼろきれのどにぶらさがり父とかなしきいさかひをする

目は紅く関折多き動物が藻のごとくむれて脳をはねあるく

 

一首目、「雲よかなしも」と感情的な部分もあるが「アルカリ色の」といったケミカルな言葉に「色」とつけてこれも硬質なイメージがする。それでも「アルカリ色」は身体に優しい感じがして肌のような色を思うがどうであろうか。二首目はよくわからない。ちょっとした不安感、見えない敵のようなものだろうか。「われ」でなく「われら」というところも誰と誰を指しているのだろうか。三首目は厳しかった父との諍いの場面だが上の句にひりひりと痛みのようなものがある。言葉にできない言葉がのどにつかえているのか、ここに苦悩を感じる。四首目はちょっと無気味なホラー映画をみているような発想。頭のなかにうじゃうじゃとあふれてくるいやな考え。それが「はねあるく」だから頭の中はどうなってしまっているのだろう。

 

たそがれの町のせなかをなめくじの銀の足がかつて這ひしことあり

東にも西にもみんないつはりのどんぐりばかりひかりあるかな

 

こういう歌を読むとなにか童話のワンシーンのようにも見えて来る。一首目は夕ぐれの坂のようところを音もなくナメクジが行きその跡が光っている場面を思う。「背中」というところに体感的なものをおぼえる。

二首目の「いつはりのどんぐり」とは何だろう。何かを象徴しているのだろうが「東」や「西」という言葉に社会や世界といった広いものを思い浮かべる。不信感はあふれているけれどそれが「どんぐり」であることが賢治らしい。賢治の自由で特異な感覚は近代短歌のなかでは少し浮いていて、100年以上経った現代のほうが似合っている気もしてくる。