日記繰る手もとに風の吹込みて罌粟の押花破れて飛びたり

河野愛子『木の間の道』(1955)

 

『木の間の道』は河野愛子の第一歌集である。この歌は冒頭の一首で、20歳頃の作品と思われる。若き日の想いを日記にしたため、その頁に摘んだ罌粟の花を押し花にしようとはさんでいた。しかし風が吹いて押し花はぱらぱらと砕けて飛んでしまったのだ。甘美性の裏側に無惨なところがあってその無惨な感じが好きだ。第一歌集の冒頭に置くには、未来や人生といったものをあまり信じないような一首に見えて来る。

 

芽伸びつつ霖雨の中に窓際のそこばくの塵粘りを持てり

夜更けて吹込む風に黄なる花黄なる花粉をしばらく落す

 

こういった描写にも独特の感性が光って見える。一首目は、木の芽時の長雨であろうか。じめじめとした空気のなか、窓のふちにたまったほこりが粘りをもっているという。結句が印象的だ。生活のよごれた部分にすっと入っていってそこから強いリアリティが放たれている。

また二首目はシンプルな歌だ。夜が更け風が部屋に吹き込んできた。飾ってあった黄色い花が黄色い花粉を散らしたという。「黄なる」という言葉のリフレインが不思議な印象を連れてくる。大体の花粉は黄色だから、当たり前のことを詠んでいるはずなのに胸にひっかかってくる。

 

箪笥に夫が参謀肩章はすでに用なき縄のごとしも

軍服を金に替へむと云ひたまひ夢かとも吾は涙ぐまるる

 

昭和21年頃の歌。夫は参謀本部にいた人物で、終戦後、もう着なくなった軍服の肩章を「縄のごとしも」と言い切る。戦時中はほこらしく軍服についていたそれも、もう今となっては意味をもたないただの縄に見えて来たのだ。有名な森岡貞香の「そのかみの百日紅は軍帽の赤き総なり忘れねば見る」という歌とくらべると全く違った精神が見えて来る。

さらに二首目では夫が金の工面のために軍服を売ると言い出した場面だ。軍服は夫そのものだったのではないのか。「縄のごとしも」と詠みながら、涙ぐみ、手離すことをためらう作者が見えてくる。

 

わが髪の幾筋か浮くぬるき湯の今地下くぐることも思はむ

ベッドの上にひとときパラソルを拡げつつ癒ゆる日あれな唯一人の為め

 

一首目は湯舟につかっている場面で、洗い髪とともに出ていく湯が、地下を流れていくことを思っている。自分の髪が身を離れて、自分の届かないところを流れていく不思議な感覚がある。また二首目のように昭和25年から結核のため療養生活をすることとなり、この歌集のほとんどが闘病のなかで生まれた歌だ。「唯一人」とはもちろん夫のことで、癒えた日にはパラソルをさし二人で歩く場面を思っているのだ。