商人(あきんど)のような声出し携帯の向こうの部下に夫は指示する

                    前田康子『黄あやめの頃』(2011年)

  家族にはそれぞれの生活があり、家の外では、お互いに知らない顔、知らない姿で活動している。
この歌は、妻が図らずも夫の職業生活を垣間見た瞬間をとらえている。恐らくは、電話している表情も家族に見せるふだんの顔とは違っていただろうが、「声」に焦点を当てたところが巧い。家族と一緒にいるときに携帯電話へ連絡が入ったのだから、勤務時間外、もしかすると休日だったかもしれない。多少は緊急を要する事態だったのではないだろうか。てきぱきと指示をする夫に、作者はいろいろな感慨を抱いたのだ。
「商人」という言葉に、何ともいえないニュアンスが滲む。部下への「指示」だから、下手に出るということはない。有無を言わさぬ押しの強さもあったのか。世慣れた「商人」は、物腰のやわらかさと同時に計算高さも備えている。そんな商人のような声を出す夫に、作者は知らない人を見たような驚きと戸惑いを覚えたのである。
だからと言って、作者が嫌悪感を抱いたのでは全くない。また、可笑しみを狙っただけの歌でもない。「商人のような声」を出させているのが、夫の仕事の大変さ、厳しさであることを妻はよくよく分かっている。そこに愛がある。家庭における優しい夫だけではない、さらに言えば、恋人だったときの若かりし日だけでもない愛が、この一首から感じられる。
前田康子と同世代の大松達知の歌集『フリカティブ』(2000年)に、こんな一首がある。

電話にて会社の妻のこゑきけば同居以前のその高き声

声は言葉以上に、話者の気分や状態を伝える。男も女も職場ではふだんと異なった声と表情できりりと仕事をすることが思われ、「商人のような声」「同居以前のその高き声」、どちらもいとおしい。

大切な人には自分の最もよい声で語りかけたい--1年の初めにそんなことも思う。

編集部より:前田康子歌集『黄あやめの頃』はこちら↓

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