身体もう返上したいといふ母よ椿のはなを食べにゆかんか

日高尭子『振りむく人』(2014年)

     ※「身体」に「からだ」のルビ

 説明は要らない歌だと思うが、一応書くと、作者の母は高齢で動くのがやっとの状態だということが、この歌からわかる。身体を「返上」してしまったら、この世には居ないわけだから、食べ物も通常のものではなくなって、もしかしたら「椿のはなを」食べるようになるのかもしれない。いや、痴呆が進んでしまった人などは、本当に椿の花を食べてしまうようなことも、あるのかもしれない。この歌は、せっかく生きているんだから、身体をもう返上したいなんて、お母さん、そんな悲しいことを言わないでください、と言いたいのである。いっしょに椿の花でも食べに行きましょうかね、という言葉には、老耄の悲しさを痛いほどに感じている作者の思いがある。悲しいながら、微かなユーモアも漂っている。これはとても慰められないから出てきた奇想なのである。

中野好夫が「ある年齢を越した人間にとって、どうやら肉体的健康というのは、もっとも意地悪い神か、悪魔かの呪詛であるようにさえ思える。」と書いていた。本当にそうだと実感する人は、高齢者に多いであろう。私も自分の父母を見ていて、老いのつらさを目の当たりにした。そのようにして、人間はまた自分の老いを受け入れる準備をしていくのだと、何かの本に書いてあったけれども…。

 

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