病得てすこし向こうへ深くなる顔はあなたの顔のままだが

渡辺 良『日のかなた 臨床と詩学』(2014年)

タイトルからわかるように、作者は医師である。苦しむ人を目の当たりにしながら、なかなか慰めの言葉も思い当たらず、何か言っても傷つけるのがこわいから、黙って何げなくそこにいるほかはないような時がある。可能な場合は、最低限の事実だけを簡潔にのべるということをする。そうでなければ、本当のことを言わないで互いに耐えている。しかし、顔は口に出して言わない何かを物語る。掲出歌、「すこし向こうへ深くなる」の「向こう」とは、どこのことだろうか。あちら側。自分の内側、内面ということか。あるいは、生よりも死の側にということか。そんな感じがする。作者は、病者の心に、じかには触れないけれども、確かに触って感じ取っている。きわめて敏感に繊細に、その人の生きることについての姿勢のようなものの変化を読み取っている。

 

ホスピスに入る前夜にメール来る縄梯子編む手のかたち見ゆ

 

地域で往診を受け持っている患者の一人からそれまでの診療への御礼を告げるメールが来たのだろう。縄梯子を編んでいるのは、同じ医療従事者たち、それから行政の担当の人たち。それから家族も。その患者がホスピスに入るまでの経緯が、ぱっと頭に浮かんだのだ。ヤコブの梯子。天国への梯子?…となればいいが。安らかにあの人が残りの時を過ごせますように、と思う歌。

 

わずかなる落葉を掃いているひとに影はふるえのごとく寄り添う

 

何でもない嘱目詠のように見えながら、心象のかげりと思念の深みが感じ取れる。思念の抒情を追求した金井秋彦の遺風を真に継承しつつあるのは、渡辺良をおいてほかにない。

 

フランクルより森田正馬への抜け道を迷いておりぬ夜半のこおろぎ

 

部屋の書架に迷い入ったコオロギが歩く。学説と治療法の間をたどるように。

作者は昭和二十四年生まれ。この世代の医学部出身の人が負ったものを意識の底に沈めている。公立の病院を退職後は町の医師として地域診療の前線に立って来た。歌集の後記にちらっと書いてある「記録」を読んでみたいと思うのは、私だけだろうか。渡辺さんには、そろそろ負担を軽くしてもっと金井秋彦の歌のことなどを書いてほしいのだが。

 

編集部より:渡辺良歌集『日のかなた 臨床と詩学』はこちら↓

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