マラソンの三万人の人の河都市の静脈を流れゆきたり

藤原龍一郎『ジャダ』(2009年)

 この歌の詞書には、「2007年2月18日 東京マラソン2007開催」とある。作者は湾岸に住んでいることもあり、都市の風景を歌った歌が多い。掲出歌、走る人か動いてゆく様子を静脈の流れにたとえた。何気ない比喩で、さらっと言ったところがいい。

私も四谷駅の近くでトップのランナーが走り抜けるところを遠くから見たことがあるが、身長の低い選手でも、とても大きく見えたので、なるほどなあ、と感じ入った。ピアニストのルドルフ・ゼルキンがピアノを弾いている時の姿も大きかった。一芸に秀でた人が、それに取り組んでいる時は、どうも大きくみえるらしい。

 

世紀末その美と毒の象徴の北斗晶と呼ぶ永遠は

 

作者はプロレス好きを自認する。いま北斗晶の身長を調べてみたのだが、ウィキペディアでは「現役時代は自称身長が169cmだったとの事でプロフィールなどの公表身長は170cmとしていたと後に語っている。」とある。リングにいる時は、さぞ大きくみえただろう。時代のオーラをまとって輝いていたのだ。

 

フラットに言葉を狎らす快感の首都高舞浜ランプ渋滞

 

こういう渋い歌が、あとから読み直すと目についた。中身はよくわからないのだが、作者はタクシーの中かなにかで誰かと会話をしていて、「フラットに言葉を狎らす快感」を感じたのである。床屋やタクシーの運転手との雑談の楽しさは、当たりの時は何とも言えずいいものである。会社の同僚でもそういう時はたまにあるが、コンビニ文化の影響か、近頃は床屋でもタクシーでも無言のことが多いようである。もっとも作者は大文字のブンガクを話題にしていることが多いので、この歌の「言葉」も日常会話の言葉ではなくて、文学の言葉の可能性があるのだが、最終的にどう読むかは読者にまかせられているだろう。