をのもしれなきてしおもてひとしらしとひてもをしてきなれしものを

西園寺実兼「詠百首応制和謌」(古典文庫)

 永福門院の父の若いころの詠草である。元の本の巻頭に「逆歌」として掲げられた歌。「己(おの)も知れ/泣きてし面(おもて)/人知らじ/問ひて裳をして/着慣れしものを」。「逆歌」というのは、上から読んでも下から読んでも同じという技巧を誇る回文歌のこと。塚本邦雄はこういう言語遊戯が好きだった。掲出歌の歌意は、次のようなものだろうか。

自分でも思い知るがいいのだ(私もあなたも)。(別れのあとで)泣いてしまった顔を(そこからわかる本当は別れたくなかったと言う本音を)。(それを)人は知るまい。(だって)あなたのもとを訪ねては着慣れた裳のように身になじんでいたのに(そのあなたと問い交わした交情の日々の思い出を忘れるわけがないではないか。)

塚本の弟子筋では、楠見朋彦が二〇一〇年に『神庭の瀧』(かんばのたき)という歌集を出したが、これなどは一冊の大半の歌が折句歌で構成されているという徹底したものである。しかし、作者には申し訳ないが、私が読んでおもしろいと思ったのはそちらではなく、ごく普通にさらりと詠んだ歌の一連の方にあった。

オークションの画面を去れず「オネスティ」イントロはYou Tubeに流れ              楠見朋彦『神庭の瀧』