みずうみを撃ちたるあとの猟銃を寝室におき眠る少女は

寺山修司『月蝕書簡』(2008年)(田中未知編)

 雛祭りの歌は、私には選べそうもない。かと言って三月三日にこのページをひらいた人が、少しも晴れがましいところのない、自動販売機でコーラを買うような歌を見せられてもおもしろくはないだろうと思った。ここは寺山大明神にお出ましいただくこととしたのだが、この歌もあまり雛祭りの日にふさわしい歌ではないか。この歌を読んでどんな図柄が浮かぶかで、その人の持っている趣味や傾向性、それから知性の姿がはっきりしてしまうような、そういうこわい歌ではある。

現在『寺山修司全歌集』は、穂村弘の解説で講談社学術文庫に入っている。そこに未収録の歌が、この『月蝕書簡』に収められている。この本の栞は佐々木幸綱と寺山修司の対談で、1976年の「週刊読書人」の再録である。寺山は、こんなことを言っている。

「人は、一つの形式を通して表現する方法を獲得した瞬間から、自分自身を模倣するという習性が身についちゃうからね。(略)その点が、非常に問題なわけです。」

こういうことを正面から言える人というのは、なかなかいるものではない。全国のお雛様たちよ、自己模倣を乗り越えてあらたな表現線をひらくべく決起せよ。と寺山修司は、未来の少女たちに向かって呼びかけているのである。