家の具みなはこび去りたる此家にしまらく我は立ちて思へり

今井邦子『紫草』(昭和六年)

※  家の具に「いへ」の「ぐ」、「去り」に「さ」り、「此家」に「このいへ」とルビあり。

三月、四月は、転勤や入学・卒業に伴う引っ越しの時節である。もう済まされた方もあるしれないが、まだこれからという人も多いのではないかと思う。地方選挙の関係で公務員は異動が選挙後になる場合があるという話も耳にする。引っ越しを伴うような場合は、困るだろう。

掲出歌の作者今井邦子は島木赤彦の弟子で、これは師を失ったあとの三冊めの歌集である。「巻末小感」の文章によれば、二冊目の歌集を出す時に版元の話に乗せられて写真を載せることにしたために、師の赤彦がいたく立腹したという。芸妓の姿や顔写真が浅草などの盛り場でブロマイドとして販売された時代の話である。

掲出歌は、誰しも住み慣れた家には感慨のあるもので、それを率直にうたったところに共感を覚える人も多いのではないか。私自身も先日、諸事情により一年間手つかずにしてあった家をようやく引き払った。「しまらく立ちて」思う余裕もなく、徒労感のあまりその場にしゃがみ込んでしまうのを耐えていたと言う方が、正確である。あとは信じられないぐらい多額の費用を要した。おそるべし、引っ越し。でも、やらないことには、始まらないのだ。