蒼穹の深さに澄めるみづうみよ仰ぎし人をわれは失ふ

紺野万里『星状六花』(2008年)

尊敬していたひとが亡くなった。ほんとうに大きな存在だった。亡くなって、あらためて痛感する。

死によって、生は完結する。

これは誰にでも経験のあることだろうが、亡くなって初めてみえてくるそのひとの姿がある。ずっとそばにいた家族にさえ、亡くなるとこのような感覚を持つことがあるのではないか。
美化とはちがう。昇華ともちがう。
生きているときに見えていたそのひとの長所も短所も、亡くなるとそれらは無化されてしまう。そのかわり、生きているときにはあまり見えていなかった生きざまや思い出などが鮮やかに立ち現われてくるのだ。
死者はいま現在にはいない、そのことがすべてとなるからだろうか。

「蒼穹の深さに澄めるみづうみよ」。
このフレーズには、死者への畏敬の思いがこめられている。すっきりとして普遍的な表現だ。
大きな空の奥のように、生者にはみることができない澄みきった「みづうみ」があるというのだ。
あとに残されたものは生きるしかない。
それはときに、つらいこと。
だから、ながく時間がたつと、先に死者となったひとを羨んでしまったりもする。
そんな死者への憧れも、「みづうみ」に感じる。

師と呼びて仰ぎゐし日々その十年余りと数へひかりを数ふ
見上ぐればはろばろと澄む冬空に雪豹座とはに飛翔のかたち

近藤芳美が亡くなって、もう3年が経った。

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