ひしひしと頰を打ちくる草の実のけはひばかりに形は見えず

藤井常世 『鳥打帽子』(2013年)

 郷里で墓域の草抜きをした歌の一連のすぐあとの章に入っている歌である。庭仕事なのか、家庭菜園の畑なのか分らないが、草を刈ったり抜いたりしていると、その実が弾け飛んで顔にぶつかる。けれども、細かいその種子のいちいちの形は目に見えず、ひしひしと打ち当たる気配がするばかりだというのである。何気ない歌だけれども、藤井常世のこういう歌の呼吸と調べに私は感興を覚える。「ひしひしと頰を打ちくる」という一首の立ち上がりのサ行音とタ行音を、続く「草の実」「けはひ」「形」という語頭のカ行音の連続で受けて、いかにも種子が頬にぶつかって来るような感じが伝えられる。言葉の意味と響きとが、実に自然に一体化して定型と親和しているのである。

 

道芝に露おくところ踏み立てばちちははありし日のひかり差す

 

とりわけ父恋いの歌が印象に残る歌集である。