むかしへむかしへ戻りゆく母ひきもどすいっそうの舟わたしにあらず

中津昌子『むかれなかった林檎のために』(2015年)

 

老いた親の介護や認知症を詠った歌が増えている。つらく悲しい歌のほとんどが、言いようのない美しさを湛えているのはなぜだろう。

この歌では、初句の「むかしへむかしへ」という大幅な字余りがたゆたうようで、読者をも日常とは異なる時空へ連れていく効果をもたらしている。「母」は新しいことを記憶することがだんだん苦手になり、昔の記憶のなかに生きる時間が増えてきたのだろうか。

「ひきもどす」ことができたら、どんなにいいだろう。けれども、そうすることのできる「いっそうの舟」を「わたし」は持たない。「持たず」とせずに「あらず」としたことで、そんな魔法の「舟」がどこにも存在しないことの悲しみが伝わってくる。

以前、河野裕子が「歌は頭から作るもの」と書いたものを読み、「七七」から先にできることもある私は大いに恥じ入ったのだが、この歌は「頭から」作られたのではないかと思う。次に何が来るのだろうと読者が読み進むにつれて、風景、状況が見え、最後に嘆息するような余韻を残す。巧いのだけれど、巧さを感じさせない、そんな一首である。

 

編集部より:中津昌子歌集『むかれなかった林檎のために』は、こちら↓

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