アルタイルならぬ老い人ベガの待ちゐるとは思はねど橋渡る

大塚 健『経脈』(2015年)

 七夕の歌としてはかなりの変化球だが、私はこの人の歌が昔から好きである。彦星がアルタイル。ベガは、織姫。「アルタイルならぬ老い人」は、むろん自分のことで、自分を待ってくれているベガ姫がいるわけではないのだけれど、所用があって橋を渡って向こう側へ行くのだというような歌で、思わずにやっとしてしまう。江戸なら隅田川をこえるかどうか、というところだが、これはそういう連想に漂うかすかなエロスの香りを楽しんでいるのである。

歌集を読んでいるうちにサマセット・モームの小説の雰囲気をなぜだか思い出した。英仏の「社交界」というようなしゃれたものではないけれど、日本にもそれなりに社交の場面が必須の会社の仕事や、役職はある。作者がどういう仕事をされているのか私は知らないし、歌集でもそういう具体的な事柄は消してあるのだけれども、全体の匂いや読み味は、何かそういう社交的な場面や交渉の局面における内面のゆらぎを表現したものが多い。大きなお金が動いているらしい、なかなか緊迫した一連もある。

作者は醒めた自意識の持ち主である。モームの小説ではあまりシニックな人物は敬遠されるというような描き方をされていたと思うが、作者の場合は日本人だから、諦念をもって自己抑制につとめるのである。それでも滲みだしてしまう屈折したシニシズムの毒は、宮仕えのサラリーマンが等しく抱くものでもあるが、ここで一味違うのは、作者が短歌によって自己対象化ができる点である。それが余裕ともなり、嘱目詠や自然の景物を詠んだ歌をおもしろみのあるものとしているのである。

 

へいたいのいのちを常に軽んじて世は成り立つとささやく風は

笑つてる樹と怒つてる樹とがありけふはみながら怒つてゐたり

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