青柿のをさなくひかる梅雨過ぎて「生活学校」廃刊となる

柏崎驍二 『青北』(1989年)

 作者は盛岡市の人。この歌集は、四十代後半の作品を集めている。「生活学校」というのは、戦前の綴方教育運動のなかで出された雑誌のひとつである。私はその復刻版を古書店で見つけて買ったことがある。歌集の「あとがき」を見ると、作者の父親は戦前の生活綴方運動にかかわった人で、柏崎栄著『ある北方教師』という本を出している。掲出歌を含む一連十首は、その記憶のために歌集の半ばにそっと置かれている。「北上山地は風土として厳しいものを負っているが、その過去をなおも知り、現在をなおも見たいと思っている。」歌集中の「記録一、山訴訟」「記録二、北方教師」の一連は、「そういう思いの中で書いたものである」と「あとがき」では説明されている。

現代は子供たちのスマホ依存や、ラインによるいじめなどが問題になる一方で、子供の貧困が問題とされている時代である。戦前の生活綴方運動は、農村の貧しい子供たちに自分の現実に向き合いながら生きる意欲を呼び覚まそうとする教育運動だった。日中戦争が泥沼化し、日本が国際的に孤立して三国同盟に傾斜し、対米戦争へとなだれこんで行く大きな歴史の動きの中で、「北方教育」の教師たちは権力によって弾圧され、治安維持法の網にかけられて、思いもしなかった罪を着せられていく。

国分一太郎に「たわしのみそ汁」という愛すべき小文がある。これは、ネットですぐにも全文を読むことができるので、知らない人にはおすすめしたい。国分一太郎のおばあさんが、ある朝、具のない味噌だけの味噌汁の中にたわしを入れたまま煮てしまったというユーモラスな追憶文であるが、これを読むと戦前と現代日本では貧困の度合や中身がすいぶん違っていることがわかる。その一方で、貧困としての現れ方は、実によく似かよっている。食事もろくに作ってもらえない子供たちがいるのである。炊き立てのごはんのおいしさを知らなかった高校生を私は知っている。

柏崎驍二の歌集を読んでいると、ある時代までの短歌の持っていた落ち着きと幸せとが、そこにあることに気づかせられる。現代短歌は、欲張りすぎなのかもしれないとも思う。この考えは折々に甦って私の立場を不鮮明なものにさせる。もう何首か引いておこう。

手花火に浮かびいでつつ花ざくろ濃きくれなゐは闇に(にじ)めり

あらくさとともに刈られしゆふがほの花の(しを)れてゆふあかりせり

(あを)(いが)の落ちてゐるうへ栗の木は騒立ち空をわたる青北風(あをきた)