喉元に銃のはさまりし夢さめてかなかなは暁を鳴きそめにける

加藤將之 『対象』(昭和十六年一月刊)

  ※「喉元」に「のどもと」、「銃」に「つつ」、「暁」に「あけ」とルビ。

 (承前)この歌は、逆編年順に編まれた歌集の昭和十二年の章にある。詞書に「盧溝橋事件勃発」とある。真珠湾攻撃があったのが、この歌集が出た年の十二月八日だから、同じ昭和十六年でも対米開戦前と後では、空気が違うことがわかるだろう。掲出歌のような作品を含んだ歌集が、昭和十六年の一月には刊行されていたのである。昭和十五年の章には、次のような歌もある。

 

そそくさと全権委任法通過して自由主義の歴史少くも断たる  (歪む世界)

事実は理性の真理(ヴェリテ・ド・レーゾン)を超えたりな(ふつ)敗戦の理を割切らず()く  (事実の真理)

 

ドイツ国会の「全権委任法」によって「自由主義の歴史」が断たれたことを問題にする人が、第二次大戦の前半戦でフランスがそのナチス・ドイツに敗れたことは、「理性の真理」を超えている、と評する事は何を意味するか。つまり、作者は「理性の真理」を支持する立場の人なのである。それをまったく突き放した言い方をしているから、一度読んだだけでは何のことかわからない。これは、むろんわざとそのように作っている。

昭和十四年の章には、タイトルとなった「対象」の一連があるが、ここにもすぐにはわからない歌が並べられている。多くなるが、引く。

 

コップに投入れし蟻のあわてざま慌てしと見るは意識のことか

対象はわがうちに在りかなしみを殺して蟻の匍ふと見るとき

認識の対象は対象の認識に相違なきかとまた蟻をつぶす

(三首略)

つぶされてこの生ける蟲が生き物でなくなる「時」も課題にならむ

蟲けらのいのちに心つながりて戦地詠草に涙安かり

夜更けて蚊をはたきゐるかなしみは妻子らのはく息に釣合ふ

対象はこの場合として考へて生きのいのちにかかはらぬなき

 

十首のうち七首を引いた。決してうまい歌ではないが、後から三首めの「蟲けらのいのちに心つながりて戦地詠草に涙安かり」という歌が、全体を読み解くヒントとなるだろう。戦地詠草を読んでたちまちに涙が流れてしまう、この心弱き私よ…。そのような装いのもとに、奴隷の言葉で最大限に言おうとしているのである。「対象」とは、私の解釈では眼前の日中戦争という現実にほかならない。「対象」と言って「現実」と言えないところに、学問に擬態した作者の屈従とわずかな抵抗がある。戦場で虫けら同然に死んでゆく同朋、また教え子らのことを作者は悲しんでいるのである。けれども、国を挙げて人々が戦争に邁進している時に、まともにそんな言葉を公表することはできない。虫を殺している自分の姿を描くという「ただごと」の風を装いつつ、「対象はこの場合として考へて生きのいのちにかかはらぬなき」という歌を、歌集の題にまでしているのである。これは自由主義的なメンタリティーを持って時局の趨勢を見守っていた人のせいいっぱいの抵抗の表現と言ってよいだろう。さらに歌集の口絵の変体仮名で書かれた尾上八郎(柴舟)の序歌は、次のようなものである。

 

おしきたる時のうしほのうちさ(沙)びて あけたるなみの きみがうたかも

八郎 (濁点は引用者)

「圧しきたる時の潮」というのは、時の勢いのことである。米国などの外的な圧力という意味にも読める歌の作りだ。しかし、柴舟は作者の腹の内を知っていただろう。「明けたる波」は、まあ頌詞というもので、実際は惨憺たる敗戦を被るまで夜が「明け」ることはなかった。この歌が『全歌集』に入っているかどうか調べようと思ったのだが、例によって本がどこかにもぐってしまっていて見当たらない。ここでは色紙の下絵のせいもあって判読しづらい三句目を「うちさ(沙)びて」と読んでみたが、この時期の尾上柴舟の時勢を憂える心境が吐露されているとみたらいいと思う。軍と草書の文字はいかにもそぐわない。