たなぞこの上にのせたる見もあかぬ金剛石よ国の気は寄る

高田浪吉 『高草(たかがや)』(昭和21年10月刊)

 昭和19年の作品。歌集の末尾より二首めに置かれた歌。作者は掌にダイヤモンドを載せて、ほれぼれとそれに見とれている。涼しげな歌ではないだろうか。ここには一点に集中する静謐な秋の山国の気配がある。作品が作られた時は戦時中であるけれども、これを刊行・発表したのは、戦争終了後の日本人全体が窮乏生活を送るさなかであった。苦しい日々にあって、それでも美なるものを見つめながら生きていこうとする作者の、祈りをこめたメッセージのようなものを一首に読み取ることができる。一連には、次のような歌もある。

 

甲斐の国に来りてきびし一房のぶだうの味は語りあかなくに

 

乏しい食料事情のもと、一房の葡萄の美味さを話題にして倦むことがないというのである。このあと時代は、文学者の戦争責任の追究と第二芸術論が沸き起こって、短歌は全体に苦境に立たされることになる。短歌にすがって生きるほかはない作者のような存在に、この後の時の勢いは過酷であった。

島木赤彦系というと厳格な写生主義の印象があり、どこか生真面目でおもしろみに乏しいような気がして、高田浪吉という名前もなんだか古くさいので、長い間私は食わず嫌いで浪吉の歌を丁寧に読んでいなかった。でも、改めて読んでみて一種の敬意のようなものを覚えたのである。清貧な生き方を貫きながら、この人は人生を楽しんでいたように思う。私の持っている本には、「昭和二十三年五月これを受け取りて帰る 金井秋彦蔵書」と元の持ち主の名が墨書してある。扉には

 

火に焼きてくれし海蟹いまし方舟引き上げし砂濱の上

浪吉 遠州灘にて

 

と筆による走り書きの自署がある。旅先で獲れたばかりの浜焼きの蟹を食べてご機嫌になっている歌人の姿が彷彿とする。歌集の挿画の葡萄や、えのころぐさの穂は、画家の里見勝蔵によるもので、質の悪い仙花紙の本ながら、当時としては精いっぱいの思いがこめられている本である。この本の元の所有者の金井秋彦は、雑草が好きな歌人だった。大きくえのころぐさが描いてあるこの歌集を受け取って喜んだ金井さんの思いがしのばれる。近代の歌人たちは、野の花や雑草を歌って数々の名歌を残したのだった。その伝統を引き継いでゆくのは、誰だろう。