あけつぱなしの手は寂しくてならぬ。青空よ、沁み込め

前田夕暮『水源地帯』(昭和七年)

 これは有名な歌で、高い所にのぼって空を見上げているイメージが、私にはまず浮かんで来る。それがどんな場所の青空かは、読者がそれぞれ決めればいいことで、初出の一連の文脈は気にせずに、この歌だけ取り出して読んでもいいと私は思う。この歌は、日本の詩歌を愛する者にとっての共有財産である。今回ここに引いたのは、『現代短歌文學選集 前田夕暮集』(昭和二十二年十二月刊)に次のような文章を見つけたからだ。

「詩精神は青空のようなものだ。いつも新鮮で香気があって、そして遠く向うの方で光っている。空をつかまえようとしていくらあがいてもつかまえられるものではない。またやたらに興奮し、声高く呼びかけても空は近寄っては来ない。あけっぱなした静かな掌(てのひら)にだけ空は沁み込む。手というものは人人の顔がちがう以上に異ったものをもっており、異った精神を現わしているといわれている。その掌をあけっぱなしにして、しっとりと空の色なり匂いなりを沁み込ませることだ。」「詩精神」(昭和十一年)

のびのびとした開放的な文章で、人間が自然の事物に接する時に感じる喜びを、どうやったら取りこぼさずに自分の内に導いて来ることができるかを、感性の構えの問題として説明している。これはつまり、万物への感受の仕方が、歌を作る際の心構えと等しいものになるということである。やたらと「全力的」に対象に立ち向かって行く斎藤茂吉などとはおのずと違った語り口が、ここにはあり、何か非常にういういしくて驚きやすい心の持ちようが称揚されている。汚れのない宝石のような言葉だと思って、ここに紹介するのである。

夕暮の随筆は、感覚の動きに従って筆が動いてゆく丁寧な描写のおもしろさに特徴があり、もっと評価されてよいものだと私は思う。

ちなみにこの本も前回とりあげた『高草』と同じく、配給元は日本出版配給株式会社であるが、詩歌の本らしく、緑色のごわごわした和紙風の紙を表紙に用い、銀色で「前田夕暮集」と「現代短歌文學選集」の文字を箔押しして、さらに紅い牡丹の花の絵が、縦一寸半、横一寸の白抜きの上に、全体の濃緑色で枠取りされている。だから黒、赤、緑、銀の四色を用いた、当時としては可能なかぎり豪華な本と言ってよいものである。でも紙は薄い仙花紙であることに変わりはなく、しかも四六版サイズで定価百円は、昭和二十二年十二月の時点ではかなりの高額であっただろう。どんな人がこれを買ったのか。