本を焚き詩人を焼いてしまつたら、爽やかだらう。(都市の)明日も 

石井辰彦「率」6号

            ※「都市」に「まち」、「明日」に「あした」とルビ。

 彼らは、こんがりと焼けた詩人がお望みなのだ、と捨て台詞を吐いたのは、泰西の呪われた詩人ボードレールである。第二次大戦中のドイツや、スターリン体制下のソ連では、それが現実のものとなった。文字通り、書物は焼かれ、詩人は虐殺されたのである。ボードレールが相手にしていたのは、ブルジョアの良識である。日本では比喩的に言うと、その「ブルジョア」らしきものがなかなか見えにくい。そういう意味ではみごとに日本社会は成熟している面がある。詩人は、そこで何かを岩投げなければならない(気に入ったので、この誤変換は残す)のだけれども、岩をちぎっては投げ、ちぎっては投げ(「水滸伝」)という、サイボーグ的な(ちょっと古い?)膂力を求められて、詩歌人にはいったい何ができるのか。

日本の短歌で「悪の華」に匹敵するような高みを目指したのは、やはり塚本邦雄だろう。『日本人霊歌』、『緑色研究』、『感幻楽』…。「率」という誌名は、前衛短歌の伝説的な存在になっている「律」という雑誌の名前の響きを思い起こさせる。でもこのよく使われる「前衛」という言葉はレーニンの組織論から来ているので、どうもインターネットの普及した現代にそぐわない気がする。先日鶴見俊輔が亡くなったが、鶴見は前衛党的な発想の逆を行こうとしたのである。「前衛短歌」という言葉は、一種の形容矛盾を含んだあだ名で、一九六〇年代から七〇年代にかけての日本の社会思想が刻印されている。この雑誌の同人については、いつか触れる機会もあると思う。私はボードレールの引用が懐かしかったのにすぎない。