そのまま行かば危き道なりと知りつつ来たりまさに到りぬ

       土岐善麿『六月』(1940年)

 

歌集名の「六月」は、善麿の誕生月である。一九四〇年六月八日、善麿は満五十五歳の誕生日を迎えると同時に朝日新聞を退職し、三十二年間の新聞記者生活にピリオドを打った。

一九三七年に勃発した支那事変は、後に日中戦争と総称されるが、宣戦布告せず「事変」と呼ばれていたために、国民としてはこの戦いをどう位置づけるべきか分らず不安を抱いていた。それは善麿にとっても同じだったようで、『六月』には「たたかひはいつを初めとしをはりとせむわれらは今大いなる歴史の中にあり」という歌も収められている。

「知りつつ来たり」という表現には、実感がこもっている。戦争へ突き進んでゆく国のありようを、日々の紙面から克明に読み取ってきた新聞人ならではの実感と言えようか。

しかし、「危き道」と言いつつ、善麿は反戦の思想を明らかにしたわけではない。「まさに到りぬ」という完了に込められているのも、決して悲痛な思いではない。その数年後、日米開戦時に善麿は「いくたびかひそかに想ひ到りつつ今遂に来れる契機ぞこれは」と快哉を叫ぶのだから。

私たちが過去に学ぶとしたら、「危き道なりと知りつつ」そのまま進んだりせぬよう、立ち止まって考えることだろう。