生きて在らば二百歳になるショパン心臓のみが祖国に眠る 

      岡本弘子『絹の喉』(2015年)

 

先日、養老孟司の『身体巡礼』を読んで、ヨーロッパ人の心臓信仰に興味を抱いた。古代からヨーロッパでは、王侯貴族の心臓を特別に取り扱ってきた。例えば英国王リチャード一世(1157~1199)の遺体は三つに分けられ、別々の場所に葬られた。ハプスブルク家でも、心臓だけが取り出され、特別な容器に収められて埋葬された。

恐らく、心臓に心が宿ると考えられていたからだという。遺体に傷をつけることを厭い、臓器移植がなかなか普及しない日本とはそもそも身体に対する意識が違うのだな、と妙なところに感心する。

フレデリック・ショパンが生まれたのは1810年。もう生誕二百年を過ぎたというわけだ。遺体はパリ東部のペール・ラシェーズ墓地に眠るが、「心臓のみ」は彼自身の遺言によって故国ポーランドの首都にある教会に運ばれた。

作者は「魂の顫えるような短歌とは楽ならショパンと答えんわれは」という歌を詠むほどショパンに傾倒している。だから、ポーランドの独立解放運動の地下組織に出入りする愛国心の強い若者だったことも、音楽修業のためにウィーンに旅立ってからワルシャワ蜂起が起こり、故郷へ戻れなくなったときの苦悩もよく知るはずだ。下の句からは、「あれほどまでに愛した祖国に、彼の心臓だけが眠っているのだ」という少し複雑な思いが滲む。事実の重み、面白さで読ませる一首である。