昂りを鎮めんとして噴き上ぐる思いのあれば生きているなり

大島史洋 『燠火』(2002年)

 この歌の「昂り」は、どんな感情だろうか。私は、怒りに似た瞬発的な情動の渦に作者が捉えられているのだと思う。温雅な風貌で知られる著者の外見の下には、このような激しい意思が秘められているのだ。世の勤め人というものは、皆このような瞬間を持つ。そこが大島短歌に読者が共感する基盤をなすのである。

どんな職務や日常の雑事に取り組んでいても、それがうまくいくことばかりとは限らないのは、世の常である。とりわけ仕事というものは、そうである。相手との行き違いや、自分の側のミスや、種々の感情の齟齬を乗り越えて、時には歯ぎしりしながら、こらえている。そうやって、生きている。

 

無い袖は振れぬと言いし応答の無念の心いま思うなり

悲しむな心かよわぬ来し方はアオマツムシの木立の下だ

身を引きて生き得し人の悔しさの無言の列のなかなるひとり

 

どうしても組織の中の敗者に心を寄せてしまう傾向があるのは、自分も少しだけそうだからだ。と言うより、波の上で調子に乗っている人物よりも、敗者の方が他者への思いやりや、やさしさを多く持っているからかもしれない。そういう人の心根に触れる機会を持つことは、人生への贈り物のようなものである。短歌を読んでいるだけで、そういうものの所在に気づかせられるということは、いいことではないだろうか。大島史洋の歌は、だからモラリストのつぶやきの詩なのである。