風吹かぬ山かげに来ればあたたかし月照りみちて虫の音多し

結城哀草果『山麓』(1929年)

                ※「虫の音」に、「むし」の「ね」とルビ。

掲出歌は、風の冷たく感じられるようになった秋の山道をたどっている時の歌である。農作業の帰りであろう。『山麓』は、戦前の農村の労働風景が多く歌われている歌集である。作者は少しほっとした気持になって、月の光の照らす山陰にいる。浄福にみちた時の間と言うべきだろう。何ということもない歌だけれども、日本人が安堵と平安というものを形象化すると、こういう景色になるのではないかと思う。そういう意味での永遠性がある。

「巻末記」を見ると、結城は歌集を作る段階から歌稿を齋藤茂吉にみてもらっている。岩波書店刊。四六版の布貼、天金、箱入り。七百八十余首所収。装丁が平福百穂で、百穂の厩の絵と、「晩帰」と題のある森田恒友の挿絵が計二点入っている。これは「アララギ」の大家に祝福されて出た第一歌集なのである。私が持っているのは1986年の第三刷で特別な本ではないが、短歌はもとの歌集で読むとすんなりこころに入って来るのである。

 

睦みつつ妻と稲刈る午下り山の陰より砲音ひびく

 

「睦」に「むつ」、「稲刈」に「いねか」、「午下」に「ひるさが」、「砲音」に「つつおと」と振り仮名がある。働く妻の姿がたくさん詠まれている歌集で、「睦みつつ」という初句に仲のよい夫婦の協業の様子がしのばれる。この歌集は愛妻歌集と言っていいぐらいに妻の歌が多い。さもなければ激しい農作業の日々をしのぐことはできないのだということも、読みながらわかる。ろくな機械もない時代の農繁期の忙しさは、想像を絶するものがあっただろう。夫婦はまず労働力としてお互いを支え合っていたのである。

 

稲刈りて腰痛めども夜の馬舎に馬いたはりて馬秣を刈れり

 

「馬舎」に「まや」、「馬秣」に「まぐさ」の振り仮名がある。石油文明以前の農村では、牛馬が大切なパートナーだった。

 

蠶を上簇ていとまもあらず稲刈りぬ一日一日と秋の忙しさ

 

「蠶」に「こ」、「上簇」に「あげ」、「一日一日」に「ひとひひとひ」、「忙」に「せは」と振り仮名。上簇(じょうぞく)は、育てあげたカイコを繭を作らせる簇 (まぶし) に移すこと。地方の歌誌を見ると、農事の歌がたくさんあって懐かしい気がすることがあるが、さすがに養蚕の歌は見えない。蚕を「あげる」などという言葉は、ほぼ死語だろう。私が子供の頃身近にあった桑の木も消えてしまって久しいし、あの紫色の実が食べられるということを、今の子供たちは知らないだろう。小学校の理科では蚕を育てる授業があったが、あれはとても良かった。蚕の繭の美しさや独特の匂いなどもその時に知ったのである。