ブラウスの水玉模様歪むなり老父を残して帰路を急げば

       岡田泰子『果物倉庫』(2002年)

年月を経て歌集を読み返すと、以前はさほど気にならなかった歌が胸に響くことが多い。この歌もそんな一首である。ここ数年、父がめっきり老けこんだことで、親の老いや介護について詠まれた歌がじんわりと沁みてくる。

この歌の「老父」は、歌集からは妻を亡くしていることしか分からず、自宅で一人暮らしをしているのか、施設にいるのかはっきりしない。どちらにせよ、父に別れを告げて自宅へ戻るとき、娘は気が咎めてならないのだ。「お父さん、また来ますから」「また、すぐ来ますからね」――そう言いながら、泣きたい気持ちを抑えてとびきりの笑顔を見せる。その時の、くしゃくしゃっと歪む心そのもののように、着ていた「ブラウスの水玉模様」が歪むのである。

ああ、自分と同じだ、と思って、私の心もせつなく、くしゃくしゃっと歪む。

 

父の口に木製のスプーンやはらかく一匙すくふ秋の茶碗蒸

 

歌集の終わりごろには、こんな歌も収められている。これもまた、刊行当時はそれほど心惹かれなかった歌だが、今は木製のスプーンや茶碗蒸のやわらかさに泣かされる。一首が「わかる」とか「わからない」などと軽々に断じてはいけないのだな、とも思う。