糸とんぼ返し縫ひして沼しづかこの遊星にふはりと立てば

       小黒世茂『雨たたす村落』(2008年)

 

トンボは4枚の羽を別々に動かして飛行するので、急旋回や空中でのホバリングなど、さまざまな飛び方ができる。「返し縫ひ」という言葉は、あえかな糸とんぼが「つっ、つっ」という感じで水面近くを飛んでいる様子を、この上なく的確に、しかもやわらかく表わしており、うっとりしてしまう。

一首の魅力をどう説明すればよいのだろう。沼の上をトンボが飛んでいる実景のようでありながら、何か現実世界ではないような静けさが漂う。本当の世界は、綻びたり破れたりしている箇所が無数にあるのだが、この歌に表現された情景は、あたかも糸とんぼが、そうした傷を何とか修復しようとしているようにも読める。

糸とんぼと同様、私たち人間も「この遊星」にたまたま降り立った小さな存在でしかない。そんなことも思う。しかし、「ふはりと」という慎ましやかな立ち方ではなく、他の動植物を絶滅させるような乱開発も行ってきた。静かな「沼」の水面を波立たせぬよう、これから少しでも綻びを直すことができるだろうか。