「ゴメンネ」と羞しく言いて寝につきし夫の夜毎の言葉忘れず

菊地原芙二子『言葉の小石』(2010年)

 「夫」は短歌では「つま」と読む。その方が字数が合う。連作の前後の歌から、元気な時は自分で寝室まで歩いて行くことができた夫だということがわかる。それが自力で歩けなくなってからは、ベッドに横たわったまま、寝る前に「ごめんね」と妻に向かってやさしい言葉をかけたのだという。続く歌からは、最後に「ありがとう」と言って息をひきとったことがわかる。認知症でそれ以外の言葉はすべて忘れてしまっていた。

 

レントゲン写真に小枝のごとき指写り冬樹の精となりて我が在り

とんちんかんな夫との会話のひと日終えわが悲しみは軽し明るし

夕暮れのカーテン越しの銀杏の黄 まだ生きているまだ生きている

 

町田にお住いの菊地原さんとは、隣の相模原市に住んでいたこともあって、同人誌の合評会などで生前に何度もお会いしたことがあるけれども、私はあまり菊地原さんの短歌をほめなかった。今読むと、平凡だと思っていた歌集の中に心にしみて来る歌がいくつも見つかる。一首め、自分のレントゲン写真を見ながら「冬樹の精」に自らをたとえるなんて、菊地原さんにしてはめずらしい。「冬樹」というのは、老齢を意識して言ったわけだろう。だから、少しさびしい気がする歌である。

選ばない選べない人生だったから後生大事に選ぶ「てにをは」

五十二年の夫との会話を思うなり詩語というものさらさらに無く

揺れながらひと葉もこぼさぬ一樹なりひと葉ひと葉を遊ばせながら

 

一首目、「後生大事に」というのが少し強く言い過ぎな感じもあるが、人生は確かに「選べない」ことばかりで、特に昔の女性のほとんどは特に配偶者を選べなかったのだ。「詩語というものさらさらに無く」というのは、文芸についての話題は皆無だったということだろう。最後に引いた歌は、クリスチャンだった菊地原さんの絶唱と思う。