火ぶくれのごとき紅葉をあらしめて秀つ枝を去りしひとむらの霧

島田幸典『駅程』(2015年)

※「秀」に「ほ」とルビ

 まずは最近手にした古書の話からはじめる。作家の里見弴が、舟橋聖一と武田麟太郎と鼎談をして、その中で文章の「調子」ということを話題にしている(「小説道を語る」『唇さむし』昭和五八年刊)。話題は、フランスの思想家のアランが、文章に調子がつくということはいけないということを散文精神の問題として述べたことについて、これを里見弴に言わせると、もともとは耳から聞いて読み聞かせで享受された「物語」から出発している日本語、そういうところから「源氏物語」を生んだような伝統を持つ日本語の文章の書き手に対して、「調子」を殺して書けと言うのは、土台が無理な話だというのである。このアランの散文論は、戦時中は広津和郎の「散文精神について」という日本浪漫派批判の文章の精神的な拠り所となったところがあるだろうし、また戦後の「第二芸術論」にまで尾を引いていると思うのだが、歌人がアランの散文論に言及しているのを私はあまり見たことがない。

それで、この鼎談のなかで里見が画家ミレーの言葉を紹介して、ミレーがバルビゾンの田舎に引っ込んでモデルもいないのに百姓の姿を自由自在に絵に描いていた、それを見た人が、よく見ないで絵を描けますねと言ったら、ミレーは、沢山見て沢山忘れたのでどうやら今では「そら」でも描けるようになった、と答えたという話をしてから、東洋の南画に、ミレーと似たような教えで、「背写」という言葉がある、手本には背を向けてしまえ、背なかで写せ、という教えがあるのだという話をはじめるところから俄然おもしろくなって来る。

西洋画は、大体写真器流で前から写す、いわば面写だ。南画では、よく蘭や竹の生動の態まで写している。風に吹かれているところとか、雨になやんだ風情とか。第一竹の葉や梅の花が枝にくっついていない。生きたものの生動の態(さま)を写すために「背写」ということを言ったのだ、と。

島田幸典の歌には、里見の言う「面写」だけでなくて、「背写」の歌もあるだろう。それは「調子」ということがわかっている人だからである。登場した頃から安定した詠みぶりに定評のある作者であるが、今後はさらに「背写」の道を切り拓いていってほしいと私は思うものである。