女とはかかるものにて妹が晴着脱ぐとてまたおほさわぎ

       佐々木実之『日想』(2013年)

 

近しい者への愛情表現というのは、傍から見ていてもよいものだ。親子やきょうだい、夫婦が睦まじく暮らすのは、人生で最もシンプルで幸福なことだと思う。

この歌を読むと、妹が晴着を着て出かけ、帰ってきてまたそれを脱ぐまでの様子を、兄である作者がずっと見守っていたことがわかる。「晴着」というのは、洋服も和服も指すが、この場合は恐らく和服であろう。なかなか一人で着られるものではないから、母親に手伝ってもらったりして「おほさわぎ」が繰り広げられたようだ。

作者はその華やいだ雰囲気と妹の美しい成長を好もしく眺めていたのだろう。そして、帰宅して「またおほさわぎ」している妹がかわいくてたまらず、「やれやれ、全く女ってものはしょうがないなぁ」なんて言ってみせるのだ。

この歌を作ったときの作者は、まだ二十歳くらいだった。高校生のころから作歌を始めた人らしく達者な文語表現であり、年長者ぶった物言いが可笑しみを出している。何ともいえない温かさに満ちた佳品である。

才知あふれる作者が、四十代前半で逝ってしまうとは誰も予想していなかった。一首のなかで、晴着を纏った「妹」の傍らに作者が永遠に微笑んでいることを、何よりの恩寵と思うしかない。