放物線を描いて谷に落ちゆくは鳥?否、礫?否、ひとつやくそく

桂 保子『天空の地図』(2015年)

何を投げたのだろうか。故人に頼まれたあるものを、谷に投げ入れたのだ。思い出の深いその場所に返されたものは、何だろう。察するに水晶の珠のようなものかもしれない。

 

うすむらさきの果皮に多くの傷見えて木通はあけびのかなしみ抱くや

 

夫の緊急入院が決まった日が震災のあった三月十一日だったという。それから約六か月の闘病生活を経て、最愛の人は旅立ってしまった。この歌は、入院加療の合間に夫が自宅に戻っている時の歌だろう。下句が哀切である。

 

天空ゆとどくメールのあらざれば空ゆく雲を仰ぐほかなし

 

「天空ゆ」は、天空から。「あらざれば」は、ないので。この歌集から旧仮名表記にしたのだという。夫への挽歌集であるけれども、タイトルからも感じられるように、作者の透明な悲しみとともに浄化される何かがあって、読みながら気分が重くなったりしない。常に外界にむけて作者のこころは開放されていて、歌の言葉がちゃんと立っている。最初に師事した前登志夫の詩性と、親しく接している道浦母都子の歌の持つ伸びやかさを合わせて受け継ぎながら、知的できびきびとした動きのある歌を作っている。

 

もうええわ!軽く往なして袖に退く漫才羨しわれ遺されて

※「往」に「い」、「退」に「ひ」とルビ。

月光はひとつひとつの箱に射し観覧車いま供花のかがやき

星合ひの空にこの身を運んではくれぬか巨きな手のあらはれて

※「巨」に「おほ」とルビ。