干すまでは洗濯たのし取り入れてたたみてしまふときにひとりぞ

小池光 『思川の岸辺』(2015年)

 大切なひとがいなくなってしまうと、そのあとの時間を一人で意識して過ごさなければならなくなってしまう。無意識に何も考えずに、生活の時間を過ごしていた時間が幸せだったのだと、あとになって気づく。だから、時間の使い方がちぐはぐになって、どうしたらいいかわからなくなってしまうのである。ひとの不在ということに、ぽかんとしてしまう。この歌集を読んでいると、手に取るように、そうした心の動きがわかる。読んでいて、同様な自分の経験を思い起こして共感する。いたみにたえないのである。

 

十五歳夏のはじめの出会ひにて四十八年のちの別れぞ

夕つ日は疎林の中にきりこみてその中に在るひとりを照らす

学校の裏手をゆけばからりんと金属バットがたまを打つおと

ぼろぼろにひび割れし顔をさらし歌ふ森進一を存外好む

 

だから、夕光も金属バットの音も、いささかの救いとして現前しているのである。そのような切実であたらしいものとして、いたみを持ってすべての現象するものが私を支えるように、めぐりに立ち現われて来るのである。そのむかし川端康成が末期の眼と言ったことがあるが、生きて在るものをいささかなりとも死の側から見る心持ちを内にためこんでしまって生きていると、あるものの姿はすべて限りなくうつくしいのである。さらに自分の見ているものは、死者の見ているものなのでもある。そうして日常の微細な事どもが浮き彫りになって来る。だから、無意味な事象はひとつもないとも言える。

 

夏になりて水をたくさん飲む猫よのみたまへのみたまへいのちはつづく

筋力のおとろへはてて椅子のうへに跳びあがれなくなりし猫を悲しむ

 

これは妻の遺愛の猫だから長生きしてほしいと思うのである。

 

動詞「ちょす」仙台弁にありにけり用ゐずなりて四十年か

 

動詞「ちょす」は、からかうニュアンスを持つ方言のようだが、もしかしたら小池光の諧謔の根っこにあるものの一つなのかもしれない。詩歌人は、言葉によって生きる人種である。四十年ぶりに仙台弁を使ってみるというのは、大事な思い返しなのではないか。