うつぶせになれば怒りも伏せられるのかうつぶせになってみよ

高瀬一誌『高瀬一誌全歌集』(2015年)

 一年間は早いもので、もう十一月もおわりに近づいている。私は三日ほど前から座骨神経痛なのだが、しつこいからだの痛みというものは「うつ伏せ」になっても変わらない。では、怒りはどうだろう。うつ伏せの姿勢というのは、ほとんど屈服のかたちに近い。それでも怒る時、人は拳で床を叩くのではないか。この歌を読んで、私は「うつぶせ」になって怒っている農家の人たちの顔が思い浮かんだのである。ТPP交渉が決着したというが、文化の方面では著作権の七十年というのも、もっと真剣に是非を論じあう必要があり、上意下達だけではすまされない問題だ。今年はほかにも腹立たしいニュースが多かった。いちいち数えあげないが、「文學界」の十二月号に立花隆のインタヴュー「『文学部不要論』を論破する」と鈴木幸一の寄稿文がのっているが、日本の政治家の不見識と無教養をあれほど痛感させられたことはなかった。いつだったか、アメリカの金融の世界で出世したある日本の経済人が帰国してラジオで語っていたが、欧米の経営者たちの夜は大人の社交文化なのであり、そこでは個々人の文化的な洗練の度合がものを言うから、いくら金もうけの技がすぐれていても、それだけでは駄目なのだ、それで自分はトップになれなかった、というものだった。ちなみに「文學界」のこの号の口絵には、野口あや子の短歌作品と橋爪彩の絵のコラボレーションが載っている。

高瀬一誌の話にもどる。これだけ口語短歌が一般化してしまった現在、高瀬一誌の作品が、新たな読者たちによって読み直しをされるのはいいことだ。新装版の『全歌集』の帯には、「<定型>でもなく、<自由律>でもない、型式と対峙して半世紀の集成。唯一の文体がここにある。」とある。いつも短歌ばかり見ていると、自分の内側に養っておくべき<外部>の批評の眼を見失ってしまう。高瀬一誌の歌は、その点で徹底的に醒めており、どんな現象をとらえる時も、それ(抒情の契機)をいったん異化してから提示しなおすという手続きを踏もうとしている。

 

この坂のまがり方かな朝比奈宗源は左手を小さくあげたり  『スミレ幼稚園』

 

こういう歌を単なる「写生」の歌と思って読んでも仕方がないのであって、朝比奈宗源がこの坂をまがる時に左手を小さくあげた、そのことを「この坂のまがり方かな」と納得したという、その「納得」のしかたに、或る「突き放し」がある。それを「異化」と言ってもいいが、ある種の微細な価値判断がある。そこに理屈ではない微妙なおかしみが漂う。そういうことをあえてする根っこのところにあるものは何か、ということが高瀬一誌を論ずる時にポイントとなるのだろう。表面的に似通ってはいるが、高橋新吉の禅的な詩にひかれた山崎方代とのちがいは、この「突き放し」の時の気分や動機のところにある。

また、これを「この坂のまがり方かな」という感慨(説明)句と、「朝比奈宗源は左手を小さくあげたり」という描写(記述)句というように分析してみると、そのことによって上句と下句の間の切れ目が意識されすぎてしまう。高瀬の場合は上下句の二物衝撃によって詩を構成しようという意識が希薄である。と言うか、そういう行き方をとらなかった。そこが前衛短歌とちがうところである。

 

絶体絶命の木と説明されればふさわしきかたちにみえてくる  (同上)

 

こう言う時に、作者はどこかで自分も「絶体絶命の木」の気分になっているところがある。そこはまず押さえておく必要がある。そうしてその形状を窮地に置かれているものの窮状のかたちとして肯定するという、妙に達観・諦観したような気分を、ひとつの認識として取り出してみせる。禅の公案的ではあるが、そういうものに行く手前のところで踏みとどまっている。あるコトナリ(事成・言成)を些事なら些事として、それを成就させて、それが成就したかたちを見届けてよろこぶというところがある。あるいはその途中で、コトナリの形を見ている、というところがある。そのように見ているということが批評的であるとすれば、十分に批評的であると私は思う。寝言のような事を書いてしまったが、高瀬一誌の短歌の意味が、少しはわかっていただけただろうか。