うたかたの職場におのれ尽くし来ぬ指のあはひを風の抜けゆく

大西民子 (田中あさひ著『大西民子 歳月の贈り物』所引2015年刊)

別に大西民子の歌と言わなくても、よくわかる歌だろう。大西は埼玉県の職員だった。退職前は、久喜図書館に勤務した。久喜図書館には、何かメモリアルとなるような展示を設けてほしいものである。そう言えば、千葉県の某図書館にあった河野愛子の蔵書のコーナーは、随分前に無知な図書館長の一存で解体させられてしまったと聞いた。そんなふうに図書館の館員の一存で消える本は結構多くて、最近の都市部の日本の公立図書館は資料を保存するつもりがないようだ。新しい本がどんどん入って来るから場所がない。詩歌の本などは、利用が少ないせいもあるが、一定の時間が経つとまず廃棄されてしまう。高名な詩人が大学図書館に寄贈した著書を、私は古書として購入したことがある。ただし、それがどこかで問題にされるようなら担当者は業者を呼んで裁断してしまう筈である。だから廃棄本にも文句は言えない。抗議などしてはならない。まだしも古書として出してもらった方がいい。

話をもとに戻す。定年になってから短歌をはじめる人は多い。そういう動機でこのページにたどり着いた方もおられるかもしれない。掲出歌は、多くの人に共感される歌のような気がする。もし身近に短歌の「た」の字も言わない人が居たら、この歌を見せてあげてほしい。うん、そうだと、きっと言うにちがいない。短歌の表現の突端をもとめて切磋琢磨し、努力するのは大事なことだが、同時に短歌はごく普通の生活人の感慨と地続きの文芸でもある。もう一首引く。次の歌の「声音」には、「こわね」と振り仮名がある。

着替へして出でゆく用のあるはよし朝の声音に鳥も鳴くなり

田中の著書には、次の作者の言葉が引用されている。

「…昭和五十六年の秋、三十七年にも及ぶ公務員生活に堪え切れないほど、私はぼろぼろに疲れ切っていた。管理職というのも女性の身にはこたえた。」(「短歌現代」昭和六十二年五月)

作者は定年より二年早く退職した。二十九歳で夫と別居、十年後に協議離婚した。基本的に孤独な人生であった。こういう履歴を知って、あらたに大西民子の歌を読もうと思う人もいるかもしれない。田中あさひの著書は、先行文献へのきちんとしたリスペクトがあり、よき案内書と言えるだろう。