航跡が消えずにのこる夢を見た びるけなう、びるけなう 遥かなり

喜多昭夫『悲しみの捨て方を教える』(2015年)

この歌を含む歌集巻頭の一連のしーんとした雰囲気は、軽い冗談まじりの歌を作ることが多い作者の持っている、本来の抒情質を伝えているだろう。

 

あかるめのマフラーを巻く エチュードを弾くほど僕はもう若くない

 

この歌の「エチュード」は、ショパンの曲だろうか。あのたくさんシャープ記号がついたショパンの楽譜を読んで弾ける人が、私はうらやましい。「もう若くない」と思う「私」の情熱は、せいぜい明るい色のマフラーを巻く程度のもので、感情の身ぶりいっぱいのショパンのエチュードなんて、とても、とても…というわけだ。ユーモアの感覚にあふれる作者である。

話は変わるが、鎌倉八幡宮の手前にある近代美術館本館が、来年の一月いっぱいで閉館になってしまうのだそうだ。奥にある別館と葉山館での活動は継続するそうであるが、それを聞いて最初に頭に思い浮かんだのは、近代日本の青年の夢と希望を形象化したような、あの松本竣介の青年の絵は、どこに行ってしまうのだろうかという事だった。それからいくつも置かれていた常設の日本の現代彫刻の展示。私はあれがどれも好きだった。鎌倉近代美術館は、ゴヤの版画のシリーズを一括展示したものや、ピラネージやルドンなど幻想画家の系統の展示にこだわりがあって、高校時代以来折に触れて見に行っていた。アンソール、エゴン・シーレなど異端の画家の展示にも造詣が深かった。

 

少年のつくりしという馬頭琴「ぼくの白馬、しなないでおくれ」  喜多昭夫

 

「スーホの白い馬」は、今でも小学校低学年の定番教材である。私は子供の頃にこの物語の絵を描いて、それが小学校同士の文化交流で海外にわたり展示されるということがあった。特にうまいとも思えない絵だったので、話を聞いた時にはいぶかしかったが…。三ッ池公園近くの末吉小学校で、一年生か二年生の時だった。年末には鎌倉へ、春になったら公園の方に行ってみようと、いま思ったのである。