丘を越え谷をわたりてしろがねの薄波寄る島をしぬばむ

山口茂吉『鐵線花』(昭和三十五年)

※「薄」に「すすき」と振り仮名。

 「沖縄なる片山三郎に」と小題を付した五首のうちから三首めの歌を引いた。冬の沖縄の歌として「しろがねの薄」をあげる感性は、もっと共有されてもいいのではないかと思う。私は何となく本島北部のイメージを持つが、現地を知る人や、片山三郎についてくわしい人は、またちがった感想を持つことだろうと思う。残りの四首も引いておく。振り仮名は括弧に入れた。

 

沖縄の秋ふけゆけど紅葉(もみぢ)する木立を見ずて寂しかるべし

冬といへど内地の秋の気候にて佛桑花(ぶつさうげ)紅(あか)く咲くといふかも

佛桑花はすなはち琉球むくげにて花のくれなゐきはまりぬべし

わが本土を沖縄びとは親しみて「やまと」と言ひき今も然(しか)なりや

 

最後の歌は、こういうものの考え方を、そもそも自分がしたことがないのに気付かされた。「ウチナンチュー」、「ヤマトンチュー」という言葉は知っているが、そこに言葉の歴史に流れる情念のようなものが伴っていることを思ったことがなかった。この歌は、昭和二十六年の歌で、九月にサンフランシスコ講和条約が締結されている。翌年から沖縄だけはアメリカ軍の軍政下に置かれ、次々に米軍の施設が建設されて、本土とは別扱いになるのである。歌はそういう現実も踏まえて、「今も然なりや」、今も(まだ)そうであろうか?と言っているのである。

歌集『鐵線花』には、昭和二十二年から三十二年にかけての作品が収録されている。典型的な「アララギ」の詠風で堅実な歌が多い。本文をここで打ち切るのは切ないことであるが、大掃除に忙しい方もおられることだろう。