松や春 就職決まりし子の一生(ひとよ)を見渡すさびしさかつておもわず

米川千嘉子(『吹雪の水族館』平成27年、角川文化振興財団)

米川千嘉子の第八歌集『吹雪の水族館』は歌の先輩や仲間を追悼する作品が多かったが、一方で、息子さんの歌も多かった。歌集から推測すると、息子さんは大学を卒業し、就職して、関西の方に赴任したようだ。

現代では転職は特に珍しくはなく、企業側も新卒採用と並行して既卒者、経験者の採用も行っているが、最初から転職を前提として就職する人はあまりいないであろう。殆どの人は就職する時点ではその企業に「骨を埋める覚悟」(古い言葉だが)だと思う。即ち、人生の残されたバリエーションはその企業の中での職種(営業、製造、総務、財務等)、勤務地、それに昇進程度しかない。それはその人の一生をほぼ見渡せるということである。そしてそのことは本人以上に親が強く感じることなのかも知れない。

親は子の卒業前はその子の無限の可能性を信じ、その子の様々な将来像を描く。志望校に入れなかったとしても、その後の挽回は可能である。それに対して、就職が決まったということは喜ばしいことであり、ひとまずは安心感を得るが、同時にそれは、それ以外の選択肢が極めて狭くなったこともを痛感する。親として初めて感じる思いであろう。

「松や春」というめでたい言葉で入りながら、「かつておもわず」というストレートな言葉で締めていることが読者の胸を深く突く。

細くかたく鋭いこんな革靴で一生歩いてゆくのか息子

子にはもうしてやれることなくなりて足湯に秋の陽をひらめかす

アパートに越しゆきし子は卒業しもう一度もつと出てゆくよ、梅

いつまでの子のてのひらを知りゐしか皮手袋を送りてれども