みんなもう忘れかけてるとりどりにスカイツリー色をかえてきれいだ

駒田晶子『光のひび』(2015年、書肆侃侃房)

 

ふと、ため息をついたような歌です。それだけ。

でも、このスカイツリーの光はどこか、うるんでいるようです。

「みんな」は名詞(→皆が忘れかけている)とも、副詞(→私はすべて忘れかけている)ともとれますが、冒頭ですから前者としておきます。主語「みんな」は何を忘れかけているのでしょうか。

歌集を通して読むと背景ははっきりしていますが、もうしばらく、この一首を見つめてみましょう。「みんな」とは誰か。「学校のみんな」とか「町のみんな」とかいう「みんな」。

スカイツリーを見ている「みんな」。

東京スカイツリーは高さ634メートル、2012年2月末に竣工、同年5月開業。澄んだ青と白の光の点滅が、私のいる都内の集合住宅から小さく見えています。季節やイベントにより赤と緑、桜色などほんとうに「とりどり」。あんな素敵なものを見せてくれる電気っていいなあと思います。

あの電波塔ができる1年ほど前には、東京の繁華街や地下通路のあちこちが、電飾を間引いて薄暗かったというのに。

みんなもう忘れかけてる。

東京に住んでいない駒田さんも、「みんな」から自分を切り離してはいません。ただ、遠い。

きれいな光も、わだかまる心も、みんな忘れないようにと願う歌々が、こうして綴られています。

 

三陸産わかめの塩を抜いているもどしたらもう戻れないから

涙腺を刺激する絵馬のことばあれど人の祈りは忘れやすくて

目前まで海迫りくる映像のふいに。あの春はさむかった