行けるまで行こうと夫とつれだちて幼のごとく新雪をふむ

宇佐美ゆくえ『夷隅川』(2015年、港の人)

 

「幼のごとく」というからには年配の夫婦だろうということになりますが、ところで年配と感じるのはなぜでしょう。

おそらく、「行けるまで行こう」ということばに先立ち「ここまで来たのだから」という前提があるからです。地理的にも、時間的にも。

いや、若いふたりでもよいのかもしれません。ふたりの生活のひとこまが、長い時間のうちに遍在する。膨大な数の写真のなかからどの一葉をとりだしても美しい、そんな印象の歌集でした。

 

詩ごころ忘れぬ夫の手をひきて五月の風に吹かれつつあゆむ

夭折の十七歳の兄を恋う八十の夫おさな顔して

一人にて見るには惜しき雪景色夫の遺影をいすにのせおく

 

自然、農作業、家族、動物など多彩なモチーフのなかでも、夫へのまなざしは主旋律としてたびたびうたわれます。身近な人はいきなりいなくなったのではなく、しだいに弱り、童心にかえりながら、生まれる前へ戻ってゆきました。

「老いて世を去った」という感じが、ふしぎと希薄です。

巻末で雪舟えまさんが「私の将来にもかならず来る、夫との別れのときを重ねあわさずにはいられませんでした」と書いていることに共感する読者は多いでしょう。

歌集名にある夷隅川は、千葉県南東部を流れる二級河川。川も歌もひとしく、宇佐美さんにとっては、九十歳をこえるまで生活に沿ってあるものでした。

お子さんたちによる心づくしの挿画と編集も見どころの一冊です。