鈴鹿嶺に雪ふりつみてはるかなる稜線はわがまなかいに冴ゆ

広坂早苗『未明の窓』(2015年、六花書林)

 ※「鈴鹿嶺」に「すずかね」とルビ

 

土地を思う歌です。歌枕ということでなく実景としての山脈をうたっていますが、鈴鹿嶺、とはもうそれだけで響きも文字も美しく(佐佐木信綱、山中智恵子ゆかりの地名でもあり)、東海地方のおだやかな空とセットで思い描きたくなります。

三重県北部にひろがる鈴鹿山脈を「はるか」に見ている作者は、愛知県の人で、そのころは高校教師の職にありました。

 

製鉄の炎あかるき夜の空 人は焼かれぬアウシュビッツに

四階西便所の床をきよめゆくひとりなれども山が見ている

西向きの厠[トイレ]の窓をあけはなつ鈴鹿の尾根があかるい冬だ

 

掲出歌とおなじ連作中の歌です。伊勢湾ごしに三重県のほうを見ると、夜は山脈よりも工業地帯のあかりがまず目に入るのでしょう。夜のもの思いは人間の歴史へ向かい、昼のもの思いは人間の生活からただよい出る、といったところ。

 

なにをさは苦しみてあると紺碧の海のむこうに立ちあがる尾根

 

この歌は窪田空穂歌集『濁れる川』の一首〈何をさは苦しみてわれのありけるぞ立ちて歩めば事なきものを〉の本歌取りであることが、詞書に示されています。立ちあがるのが「われ」から「尾根」へ転じたことで、湾のむこうの山が人格を帯び、働く人を励ましてくれるような文脈になりました。

本日の一首における鈴鹿の白い稜線はあくまでも風景ですが、「まなかい」で山の映像と人の知覚が出会いなおした感じ、その鮮やかさが「冴ゆ」の一語に着地したのではと読みました。