カーテンを玻璃戸のうちに巡らせて古書店ノアは灯りそめたり

渡英子『龍を眠らす』(2015年、青磁社)

東京だと神田であろうか。夕暮れの古書店である。閉店時間になり、ガラス戸の内側でカーテンが引かれている。家庭用の柄や絵のある華やかなカーテンではなく、実用的な白一色の厚手の生地のカーテンである。その内側で店主が今日一日の売上の計算でもしているのであろうか。灯りはその前から点いていたのかも知れないが、カーテンを巡らせると急にそのカーテン越しの仄かな明るさが意識される。

「ノア」というのは古書店の名前とも取れるかも知れないが、やはり旧約聖書「創世記」のノアと思いたい。「ノアは義人(ただしきひと)にして其世の完全(まつた)き者なりきノア神と偕(とも)に歩めり。…汝(なんじ)松木(まつのき)をもて汝のために方舟を造り…」(第6章)とある。方舟には「導光斒(あかりまど)」を設けたとあるが、内部では灯火による照明もあったであろう。想像してみるに、それば内部が灯り始めた古書店のイメージとも重なる。巨大な建造物、内部には選ばれた動物(知)に満ちており、仄かな照明がそれらを照らしている。そして古書店の中の沢山の書籍もノアの方舟の選ばれた動物たちも、永遠の未来に向けて生き続けてゆく。知を未来に向けて伝え続けてゆく。なんと壮大なイメージであろうか。

作者は「ノアの方舟のような古書店」とは言わないで、「古書店ノア」と端的に表現した。古書店=方舟なのだと言っているのである。その潔さが気持ちよい。またその端的な言い方が文体に鋭い切れを与えている。そしてそこには、現代文明に対する作者の批評のまなざしも宿っているような気がしてならない。

亡き人がえんぴつに引きし傍線にみちびかれつつ古書(ふるふみ)を読む

花冷えを点る自販機温かい紅茶花伝を購ふ死者が来る