八階から見ゆる桜は小さかり今逝きましたと器械に告げて

河野美砂子『ゼクエンツ』(2015年、砂子屋書房)

歌集タイトルの『ゼクエンツ』は音楽用語で「音高を変えながら繰り返す同一音型」を意味するらしい。因みに作者はピアニストである。この歌集の期間、作者は母を失った。「器械」は何とは言っていないが、「機械」ではなく「器械」の字を使っているのでそんなに大掛かりな装置ではないだろう。私は留守番電話と取る。

肉親が亡くなる。その臨終に立ち会った家族としては、葬儀の準備と並行して、逝去の旨を親戚・知人に連絡をしなければならない。以前だったら、病棟の廊下の隅の公衆電話だったが、現在では携帯電話だろうか。「先ほど息を引き取りました。」と告げ、場合によっては「お通夜はどこで、葬儀は何時何時から何処で」というようなことも付け加えるかも知れない。次々に電話をするのだが、先方の電話がが留守電になっている場合も少なくない。作者は感情を押し殺して受話器に向かいごくごく事務的に用件だけを吹き込む。それが「器械に告げ」なのであろう。

一方的に用件だけを「器械に告げ」終わって、ふと顔を上げると病室の窓から地上に咲いている桜の木が見える。満開の桜だとしても八階の高さから見下ろすのだから小さく見えるはずである。ここには、人の死という尊厳、留守番電話という無機質な実用性、そして小さな桜というもう一つのひっそりとした、しかし美しい命、これらのものが一瞬に時空で交錯するのだ。主観を排して、端的に表現されているが、何とも悲しく美しい作品である。

清掃の人の来るゆゑこの部屋の荷物手早く片付けねばならぬ

三人の遺族となれり何回もお辞儀する父と妹を見つ

どこもどこも桜あふるる街なかを鉄(くろがね)匂ふ葬列がゆく