けさの羽(つばさ)はたしかに扇われをして空のかなたに溺れよと招(を)ぐ

百々登美子『夏の辻』

 羽(つばさ)は何の鳥であろうか。「けさの」とあるから日常的に目にする鳥であろう。とりあえず、ここでは鳩としておく。ベランダか公園か、毎日のように見かける鳩が今日は羽根をゆっくりと動かしている。作者から見えるその角度が丁度、扇で自分を招いているようだという。そして、招かれている先は空の彼方なのだ。

 日常生活というものは実に煩わしいものである。こうやって私が書斎でパソコンに向かって文章を入力している間にも宅急便のお兄さんがチャイムを鳴らしたり、外装塗り直しの業者の勧誘の電話がかかってきたり、かと思うと外は灯油販売の車がスピーカーを大音響で鳴らしながら通り過ぎてゆく。この後、歌の会があるのだが、その前に郵便局とコンビニに寄らなければならない。瑣事と言えば語弊があろうが、生活とはそういうことの集合体である。本当に空の彼方へ行ってしまいたい気がする。

 作者もそんな気持であったのであろう。そんな時にふっと視野に入った鳩の仕草が、翼を扇のように動かして自分をまねている。とっさに作者はその招きに応じてみたいと思ったのであろう。何もない虚空に身を委ねることはそこで溺れることでもある。そう夢想した時、作者は恍惚となったに違いない。豊かで奔放な発想が、確かな表現力で支えられた一首である。

 この歌集には他にも魅力的な作品で溢れている。

    開けにゆくポストのそばに泊つる蝶胸乳もたねば身軽くあらむ

    落とし主いづれか知らず風切羽(かぜきり)の鋭(と)がるさびしさ拾ふ木下に

    少し病み少しなまけて十五夜の月見てゐれば一片の雲

    敵意もて一行書けば窓ごしにしづみゆくごと雉鳩(はと)は巣につく