正座して洗濯物をたたみいる膝は大事な作業台なり

長谷川径子『固い麺麭[ぱん]』

(2016年、本阿弥書店)

 

 

しばしば寝台の上で膝にノートパソコンを載せて執筆しています。推奨できない膝の使用法ですが、かつて持ち運び可能なパソコンはたしかにラップトップ(膝の上)型と呼ばれていました。

この歌を読んで、膝は人体のなかでも“使える”部位なんだなあと、あらためて思いました。人を膝枕させて耳かき、猫を抱いて蚤とりとか。

自分の作業を書いているだけなのに、畳の目や、洗濯物をとりこむ午後遅くの日ざしまで想像できて、映画の一場面のよう。

現代生活では洋室で夜にたたんでいることも多いので、正確には、映画の一場面のように読みたくなる歌というべきですが。

 

栄地下珈琲店の木の椅子にわれとリボンの帽子が座る

母住まぬ家の時計の乾電池とりかえること止めて眠らす

 

これらもどうということのない行為ですが、情景がよく目に浮かびます。

絵画的というより映画的と感じるのは、歌のなかに流れる時間、つまり時のあいだが描きこまれているからでしょう。コーヒーをたのしむあいだ、乾電池をとりだすあいだ。

また、物体がどこか人間的です。「帽子が座る」、「時計」を「眠らす」というのは擬人化表現ですが、完全に人格をもつわけではなく、人と物のあいだの状態のような。

掲出歌の「膝は大事な作業台」も、膝の擬人化ならぬ擬物化であり、人体と物体のあいだをうたっているといえます。

あいだの表現は、短歌の案外長い(31音もある!)丈と相性がよいことを考えたしだいです。