ひとが言葉を失ふことのふしあはせと 憎悪が言語[ことば]より出づるふしあはせ

森井マスミ『まるで世界の終りみたいな』(2015年、角川文化振興財団)

 

 

観念的ですが、よくわかる歌です。人がことばを失う原因として、病や、あるいは身辺の悲惨な人災・天災などが具体的に想像できます。

下の句は現在では、街頭やネットでのヘイトスピーチ問題を思わせます。「ことば」に「言語」の字があてられているのは、民族や宗教などにまつわるインターナショナルな対立を意識してのことでしょう。

形式から見ると、上下の句が対句であるという短歌らしい技法も、わかりやすさにつながっています。ただ、短歌らしいといっても明らかな字余りが見られ、語が溢れたというより故意に形式を着崩しているようなところは、歌謡らしいというべきかもしれません。

森井さんの前歌集のタイトルも、政情不安などにより人々が刹那的に生きざるをえなかった中世の歌謡に由来する『ちろりに過ぐる』でした。

掲出歌の対句も幸せと不幸せの対比ではなく、どちらにせよ「ふしあはせ」。歌集中では現実の戦争、原発事故、レイプなどによる死への接触がたえず言及されます。

怒りはありますが、感情まかせではありません。つねに、ことばからものごとへ迫ろうとする態度があります。

 

てらてらと防水加工されし名簿 名を晒さるるはつねに死者

国境線引きてあぶらをうばふ国にならひて日本は近代を肥ゆ

 

無名の人が名をアナウンスされる理由、「近代を肥ゆ」が“近代を超えていない”ことへの皮肉にもなっていること。

塚本邦雄を師とする歌人らしいアプローチを感じます。