北を指す針だと思ふぼくたちは クリアするのを忘れたゲーム

黒瀬珂瀾『空庭』

(2009年、本阿弥書店)

 

一昨日に作品を引用した山田航さんの編著による短歌アンソロジー『桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表』(左右社)が話題になっています。昨年末刊ですが書名が書名なので季節柄、この先しばらく本書から孫引きしてみることにします。

若手歌人40名の作品は山田さんの選によるようで、解説もふくめ編著者の観点が前面に出ている本です。アンソロジーとは本来そういうものですが、短歌では珍しいでしょう。

まえがきに「寺山修司から短歌に入ったぼくは、歌集というものをヤングアダルト、つまり若者向けの書籍だと思い込んでいたのだ。短歌が世間では高齢者の趣味だと思われていたなんてかけらも知らなかったし」と、ひどいことが書かれていますが、どんな短歌読者にとっても初めて心惹かれた歌の傾向が指標になりますから、短歌になじみはじめるとその素材や作者像の幅広さに驚いたという経験は、誰しもしているはずです。

掲出歌の作者については、「『現代日本』の象徴であるサブカルチャーのモチーフもかき混ぜながら、竜巻のような思想詩の渦を生み出す」とコメントしています。

出典歌集『空庭』では「子供の頃、空前の『ファミコンブーム』が来た」との詞書があり、ゲーム「ドルアーガの塔」をそのまま世界の写し絵と感じていた世代が東京・池袋のサンシャイン60ビル、およびその地にかつて存在した巣鴨プリズンのイメージを重ね合わせてうたった連作中の一首です。

山田さんの「ぼくは」、黒瀬さんの「ぼくたちは」。若さを捨てず“世間”に取り込まれまいとすることを短歌は拒まないと信じるまぶしさを、諾いたいと思います。