暴行に及んだことがない僕の右手で水はひねれば止まる

望月裕二郎『あそこ』
(2013年、書肆侃侃房)

 

一昨日につづいて短歌アンソロジー『桜前線開架宣言』(左右社)から、編著者・山田航さんのコメントがおもしろいと思った歌人の作品を引いています。

山田さんいわく「江戸弁っぽい文体」とのことで、和歌の歴史からするともう外国語の歌かというくらい遠くへ来てしまったかもしれません。
私自身の感想は、以前、同人誌「町」で望月作品を読んでいたころはちょっと変わってるなあというほどのものでしたが、歌集でまとめて読むと、次に何がくるかわからない予想のつかなさという点で赤塚不二夫的なテンポを感じたり。

 

トランクスを降ろして便器に跨って尻から個人情報を出す

 

猥雑で暴力的。といっても他人を傷つけるということではなく、「個人情報」にモザイクがかかりそうな“世間の暴力”へ意識が誘導されます。

この歌や冒頭の歌について山田さんは「落語でもお笑いでもなく、ロック」「喪失の後に残る余情に安易に頼ることをよしとしない」と、かっこいいコメントを寄せています。
暴行に及んだことがないというのは常識人なら、普通のことでしょう。その普通さに対する自嘲などが従来の、とくに男性に多い短歌的自意識だったと思いますが、利き手で水道栓をひねれば水が止まる(省略された表現ですが、そう解釈しておきます)という文明の揺らぎのなさが、自意識のフィルターを通すことなく、暴行に及ばずにいられることのあやうさを照り返すようにも見えます。

 

『桜前線開架宣言』は、短歌結社で選歌や編集を担う大松達知や松村正直などの中堅歌人から、学生短歌会の現役である井上法子、小原奈実まで、若手といってもわりと幅広い層の作品をフィーチャーしています。

短歌が和歌からどのくらい遠くへ来たか、来ていないか、編著者とともに考えたくなる一冊です。