志野に活ければ網目透く花貝母春のひと日をうつむきて咲く

今尾謦子『薬医門

(2015年、砂子屋書房)

※著者名の「今」は、正確には「ひとがしら」の下に「テ」

 

志野焼の花瓶に活けたバイモ(アミガサユリ)のようすをスケッチした、なんということもない歌ですが、志野・網目・貝母(編笠百合)という漢字を意識すると、なかなか華やかに感じられます。

じっさいには白っぽく、派手とはいえない花であるだけに、そうした印象を変えてしまう表記あっての詩歌であることを考えます。言い換えると、詩歌は実景をけっして実景のままにはしておかないということです。

「うつむきて」も形状としてはかなりそのままの表現ながら、擬人化ですから読者はどうしても内気さ、可憐さを見ずにいられません。花言葉も「謙虚な心」。

また、寡聞にして知りませんでしたが、貝母は生薬として古くから鱗茎が鎮咳や去痰等に利用されてきたとのこと。

歌集の口絵に「今尾醫院」と掲げられた美しい薬医門のカラー写真が挿入され、作者は薬剤師とありますので、貝母への愛着はひとしおでしょう。

平井弘さんによる跋文もたのしく、「孫歌の手放しようなどはもう戦意をなくす。この糖度かなりのものだろう」とあるとおり、孫たちの名前も屈託なく詠みこまれています。

 

球根を植えたるは亡母芽のいでし貝母に鐘形の花けさ開く

あまおうを含んでいるのは判ってる桜子のくち春かおりたつ

 

「貝母」の名は、球根が二枚貝に似ていることに由来するそうです。その名に「亡母」を重ねることも詩的操作です。季節と人のかかわりを多くうたい、人なつっこい雰囲気がただよいます。