航跡をのこしつつヨット進む見え若年の未来はた還らざる過去

尾崎左永子『薔薇断章』(平成27年、短歌研究社)

 鎌倉に在住する作者なので、湘南かどこかの初夏の光景であろうか。帆に風を受けて傾きながら波を切り進んでゆくヨットが見える。作者は岸から遠くそれを眺めているのであろう。ヨットを操っている人影がはっきりと見えるかどうかは判らないが、恐らく明るい色のパーカーなどを着て逞しく日焼けした青年であろう。そしてヨットの後ろには一筋の白い泡が航跡となって見えている。

 人生の紆余曲折を重ねてきた作者にとってそれはとても眩しい光景であろう。眼前の光景も眩しく、またそれを操る青年の限りない未来もまた眩しい。しかし作者は、青年の無限の未来を祝福すると同時に、人生の先輩として、その若さ・未熟さを幾分危ぶむ気持ちもあるように思えてならない。「若者」と言わないで「若年」と表現したのはそのような気持ちからではないだろうか。

 そして作者はまたその青年にかつての自分を重ねているような気もする。自分にもかつては、あの青年のように明るく輝く無限の未来があった。その後様々な経緯があって現在の自分がある。人生を重ねるということはその無色の未来を少しずつ塗り潰していくことなのかも知れない。それを「過去」というのだ。過去は決して還らない。その人生の歩みが「航跡」なのであろう。

 「還らざる過去」には紆余曲折のあった自分の過去に思いを馳せると同時に、青年の対して、時間は還らないものだから今の一瞬一瞬を大切に生きるように、という人生の先輩としての思いやりに満ちた優しいアドバイスの気持ちも含まれているのかも知れない。

   逆光行く人々の影踏み来しがふりむけばわが影も踏まるる

   誕生の日に贈られし紅薔薇の紅の凋落は身に沁むものぞ

   一人子の逝きて一年音のなき冬の夜ふいに痛みは萌す